▼朝日町4月29日獅子舞取材3松原厳島神社2023/05/04 16:00 (C) 獅子宿燻亭10
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大舟木から十分程度で上郷の松原地区は厳島神社に到着したのは朝の7時15分。
細く急な農道を神社まで上ってくるには軽車両でないと危険だ。対向車が来たら
お見合いとなると急坂でバックは危険である。高台にある神社はリンゴ畑と原野
に囲まれた傾斜地の見晴らしは最高だった。
下見に来た時は、神社参道入り口に駐車して歩いて上って行ったが、普段運動不
足の足腰は不平を呟き出すが、はやる心は若いふりをして石段を2段づつ駆け上が
る。境内の桜に名残の花弁が揺らいでいた。
厳島神社は雪囲いが外され、杉葉は綺麗に清掃され準備万端だった。ガラス戸越
に拝殿を覗くと、獅子頭一対が神殿前にドンと鎮座して待っていてくれた。漸く拝
見する事ができた獅子頭は、眼をカッと見開いて何も寄せ付けない意気込みに満ちた
立派な表情である。来た甲斐のある二頭にもう満足である。
一旦下界に降りて隣の宇津野地区の取材から大滝、宮宿に入り助の巻地区の天満宮の
取材をして10時30分前に松原厳島神社に戻ってきた。
今度は駐車場を配慮し歩いて参道を上って行ったが結構な筋トレである。
宮司さんは到着していて、着替えをされていた。気兼ねなく獅子頭の検分をさせて戴
いた。面識のある宮司さんがおられると鬼に金棒と言いたい程、心強い。私はこう見
えて結構小心者なのだ。
一対の獅子頭の印象は制作した杉山の初代長井の遠藤森助の獅子頭と共通性があり、
また米沢川井の羽黒神社所蔵の獅子頭と似ていると感じる。その獅子は舌に記名が陰刻
されている。 「享保16年(1731)三月十五日 彫刻 貝沼宣智」
舌の陰刻の筆跡を調べると白鷹町浅立諏訪神社の初代の獅子頭の顎底に陰刻されてい
る記名と酷似し、貝沼宣智の作、またはその獅子頭をモデルにした可能性もある。面長
の構造や鼻から目にかけての大きなシワの表現が共通している。
川井の羽黒神社の獅子
舌の陰刻
二頭を比較してみると
表情が微妙に違っている。小振りの獅子の方は、宇津野の獅子の見開く様な目の外側の
二本のシワと似ている。
この表情は、隣の地区杉山神明神社、長井市勧進代の遠藤森助の作や、川西町上小松諏
訪神社の面長の獅子頭にも見られる。
杉山の獅子 渋谷作
長井市勧進代森助獅子をモデルにして制作した木地 渋谷作
川西町上小松の諏訪神社の獅子
拝殿の写真の中に興味深い古い獅子舞の写真が奉納されていた。三枚の写真がずれて台紙に
書かれいてる文字が見えないので、許可を得て額から外してみた。
「昭和25年4月15日 獅子舞改善紀念 松原同行会」とあり、昭和25年といえば戦後間も
無くで、それ以前の獅子舞の形を変更せざるを得ない事情があったのだろう。
「広報あさひ」からの写真引用
獅子舞の写真は獅子頭を低く構え、隣の杉山の獅子舞の様式に見える。「広報あさひ」に掲載
された写真も同じスタイルであるが、ずいぶん獅子に入る人が少なくなっている。