ヤマガタンver9 > ☆中央地区史跡案内板(58)〜 あやめ公園開園記念碑 あやめ公園「山形県一名所」碑

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▼☆中央地区史跡案内板(58)〜                               あやめ公園開園記念碑 あやめ公園「山形県一名所」碑

☆中央地区史跡案内板(58)〜                               あやめ公園開園記念碑 あやめ公園「山形県一名所」碑/
「あやめ公園開園記念碑」

 この碑は花の長井を代表するあやめ公園の開園を記念して、当時
全国的に有名な3人の川柳家の自筆の句を刻んで昭和12年7月長井川
柳者の有志が発起して建設したものである。句は、

 名園の花を生かして絵雪洞  五花村
 人去りて地にむらさきの詩が残る  剣花坊
 魂はゆかりの色へよみがえり  飴ン坊


「あやめ公園『山形県一名所』碑」

 あやめ公園は明治43年7月に金田勝見氏が、自分で経営する茶店の
西の杉林跡5畝を開墾してあやめを植えたことに始まる。昭和5年に、
山形新聞社が「山形県一名所」の人気投票を行ったとき、佐藤鶴吉
町長を先頭に全町民が燃え、町外の縁故を尋ねて、あやめ公園への
投票をたのみ、遂にその栄冠をかちとった。
 この「名所県一」の首位獲得運動を通じて、「宮公園」という意義
が「長井のあやめ公園」へ、そして更に「東北一のあやめ公園」と
いう意識に高まり全盛期を迎える動機となった。「長井音頭」「長井
小唄」の地方ソングを作ったのも3年後のことである。


あやめ公園開園記念碑は昭和62年度設置。
あやめ公園山形県一名所碑は平成元年度設置。
平成11年度に2つに分かれていた案内板をまとめたものが設置された。
(あやめ公園内)




2012/03/15 18:58 (C) 長井市中央地区公民館
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