▼昭和の長井 42016/03/03 08:30 (C) 読みもの長井物語
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元禄7年(1694)に最上川舟運によって宮舟場が設置されて以来、飛躍的に商人町へと変貌し、。大正期を経て昭和に入る。舟運で培ったエネルギーが昭和となり、どのように長井は変わっていったか、年譜形式で紹介する。
昭和15年
支那事変貯蓄債権・金15円
昭和15年1月7日
長井町が内務省の最上川上流改修工事の附帯事業として、日本電興長井工場の敷地埋め立て工事を要請し、その負担金として町で2万5千円支出
昭和15年2月11日
桑島五郎、「大楠公銅像」を長井小学校奉安殿前に寄贈
昭和32年5月3日に設置された「慈愛の像」だが、 この台座の上に「大楠公銅像」が設置されていた。台座は上下逆になっている
昭和15年4月22日
生活必需物資配給、切符制となる
昭和15年5月1日
長井小学校玄関前に「大松」樹長8m、重量1500貫を植える
現在の正面前の松の木
昭和15年
第1校舎前に樹木植栽、グラウンド廻りにプラタナス植栽
長井小学校校歌制定
昭和15年
長沼孝三、あやめポスター制作する
昭和15年7月6日
長井保健所落成
昭和15年8月1日
羽前銀行、両羽銀行(現山形銀行)に合併
昭和16年1月18日
町道認定 館町路線450m、四ツ谷路線165m
昭和16年3月1日
国民学校令が公布され、4月1日から小学校は国民学校と改称
昭和16年
長沼孝三、あやめポスター制作する
昭和16年9月2日
東京芝浦電気長井工場建設の地固め興行として、東京大角力双葉山、羽黒山等一行を迎える。そこに通ずる新道(境町西新道)も双葉山に踏み固めてもらう。
昭和16年9月
置賜織物同業組合終わる。企業整備令により
昭和16年11月1日
羽陽銀行が両羽銀行に合併
昭和16年11月
東京芝浦電気(株)が「マツダ支社長井工場」を設立。あやめ公園の一隅にあった民家を借りて、電解コンデンサの試作を開始
昭和17年2月24日
町議会は、長井町役場庁舎改築を議決(明治27年の建築で腐朽狭隘のため)
昭和17年6月8日
長井国民学校校舎、木造二階建て一棟新築決定(4万5千円)
昭和17年7月10日
あやめ公園と高台を町内会に貸付て馬鈴薯、野菜畑となる。つつじ公園も
昭和17年7月1日
旧郡役所を西置賜地方事務所として使用。昭和57年3月31日まで41年間。西置賜地方事務所設置
昭和17年8月
東芝長井工場が創業、コンデンサ・半導体等関連工場が設立。9月25日に開場式
昭和17年9月
東京電器(株)山形工場、工場が完成し、東京芝浦電気(株)マツダ支社長井工場(東芝長井工場)が本格的に操業を開始する
昭和17年11月20日
東北配電株式会社と長井町電気事業の統合契約締結。長井町営電気廃止。
昭和17年12月19日
長井航空工業株式会社(今回設立)、株式を2万円長井町で引き受けること決定
昭和18年1月31日
町電気事業、昭和17年の企業整備令公布のため廃止を議決
昭和18年2月24日
町道認可 登城町地方事務所線30m、坊中県社前線138m、館町下中学校線235m、片田常楽院線655m、境町西三号線103m
昭和18年5月22日
東五十川大火
昭和18年5月28日
長井町長に長沼惣右エ門当選
昭和18年6月25日
県立長井中学、神町飛行場・小国電興に学徒動員
昭和18年7月2日
町道認定 館町末広町北線390m
昭和18年7月15日
西置賜郡招魂碑、金属回収供出のため壮行式。9月4日に撤去
昭和18年7月30日
県立長井高女、大船に女子学徒動員
昭和18年10月25日
東京方面から学童疎開続々。 町道認定 田端谷地橋線1073m
写真は丸大扇屋の疎開
長井小学校。芋ほり
昭和18年11月
郡是製糸長井工場が、企業統制によって日本蚕糸製造株式会社に
昭和19年1月14日
長井町常備消防設置を議決(10名)
昭和19年8月
金井神山で松根油採取始まる。町内各地で防空壕掘り、家の蔵の白壁を染める
昭和19年8月10日
歌丸金鐘寺焼失