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▼羽越水害

鮎貝小学校PTA研修会で災害についての研修会を行いました。

311の大震災の話。
山形県を伸びる活断層の話。
そして昭和42年8月末に起きた羽越水害の話。

羽越水害について昨年アーカイブしたテキストの存在を思い出したので網録に載せておきます。
語り手:鮎貝前区長の消防団員視点で。

■羽越水害の発生前の状況
前日からの大雨は夜になっても降り止まず、消防団員は徹夜で警戒にあたった。
当日の最上川の状況は川幅一杯に濁流が流れ、堤防の上に立っていると堤防が水圧で揺れることを感じた。

■堤防決壊、水害発生
29日午前5時30分頃、鮎貝七町八反地内の堤防から溢水がはじまり警戒に当たっていた消防団員が緊急避難すると同時に溢水した場所から決壊が始まった。
ただちに消防車及び消防団員により堤防決壊の知らせを地区内に行った。

■住宅地までの濁流到達時間と対応
最短距離の住宅地までの到達時間は約15分。箕和田集落付近まで30分程度。(決壊場所から約2.5キロ程度)
過去にも最上川氾濫の毎に水害が繰り返されてきたが築堤されないときの洪水は河川勾配によって大洪水のときでも住宅に冠水する事は極稀。
堤防決壊と下流堤防によってダム状に湛水は初めてのこと。
経験の無い事から状況についての判断が甘かった。

■白鷹町の水害状況
上流部の飯豊町、小国町の状況と異なるのは、施設、農地、山林など土地及び建物等の流失よりも、破堤による流木等の流入、ゴミ土砂等の堆積による被害が大きかった。
鮎貝地内においては鮎貝町内まで巨大な水湖と化した。

■下流堤防の破堤
時間は正確にわからないが下流堤防が決壊し、翌朝には堆積した大量の流木とともに水位が低下した。

■一日を振り返って
堤防決壊から住宅地までの到達時間の予測が出来ず非難や家財家具の安全な所への片付けが遅れた。
避難場所については、堤防天場の高さを上回る強固な建造物などが必要だが予測が出来なかった。

■水害後の活動
建物被害の救援活動は消防団員によるポンプ放水で泥にまみれた建物の水洗いから家財家具の片付け等。
収穫期を迎えた水稲を一株ずつ引き起こして刈り取り水洗いをする作業には荒砥高校生、農協青年部の方々などの救助を一ヶ月近くに渡り頂いた。

※この時代の堤防は現在より低い「暫定堤防」でした。
その後堤防は1.7メートル高くなり、鮎貝排水機場が完成して現在に至る。

万が一、今の堤防が決壊するとこれ以上の状況になると言うお話。
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