▼小松で獅子頭検分2019/06/10 08:59 (C) 獅子宿燻亭7
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現制作中の川西町小松 皇大神社の獅子頭の検分に訪れた。獅子を振る若い衆に集まってもらい獅
子頭の最終調整を行った。
こちらには同所の写真館経営者でもあり昭和初期彫り師 佐藤太蔵氏の作、川西町西大塚の金子豊
夫氏の作飯豊町中津川小屋出身で福島県飯坂に移って制作した太田康雄氏の作がある。
三獅子の二本の軸棒を見ると幅が広く下の棒が、少し奥に取り付けられていた。顎を下げて獅子を
振るスタイルの為その方が操作性が良いのだそうだ。二本の棒を握る際、親指と薬指と小指は下の
棒に掛け、人差し指と中指を上の棒に掛けるのだそうだ。二本の軸棒の間隔が狭いと薬指が上の棒
にこすれて怪我をする。実際に昨年の獅子舞で怪我をした指の傷痕を見せてもらった。下顎の左手
の握る紐の位置も獅子頭を持ってもらい位置決めを行なった。やはり神社ごとに獅子舞の微妙な違
いや傾向が存在し、木地の段階での調整は重要になってくる。
神社の社務所には稽古用の獅子頭が二頭あった。如何にも古そうな獅子頭は初心者が見様見真似で
彫ったようだが、直感的に宮司さんから獅子舞の創始にまつわる話が頭に浮かんだ。
明治期に神社近所のお祭り好きな若者(佐藤運太郎説)が、獅子頭を調達し獅子舞を始めたという。
その当時、隣の新山神社では明治3年には長井の梅津弥兵衛の総宮神社系の獅子頭が奉納され、それ
以前に用いられていたと思われる赤い獅子頭も所蔵されている。小松では舟運で栄えた豪華絢爛の
屋台オシャギリも引廻されその露払いで赤獅子が用いられたのだろう。そんな環境で若者達の獅子
舞が街を練り歩き、ご祝儀も上がる様になり、それが皇大神社関係者にたしなめられた。それから
神社主導で本格的な獅子舞を始める切っ掛けになったのだと言う。その獅子頭が、この古い稽古用
の獅子頭では無いだろうか?
左が佐藤運太郎氏の作? 右は?・・同じ佐藤姓だが関連性は?
平ノミ一丁で彫られたと思われるノミ痕にはただならぬ熱い想いが込められている様に感じる。獅
子舞の創始や継続には、この湧き出る只ならぬ熱情が欠かせない。