▼北山 山の神2021/01/22 10:09 (C) 中川公民館日記
▼岩部山石切場について赤湯層の石材について調べています。高畠地内の石切場、特に蛭沢湖入り口の瓜割石切場は資料が揃っていますが。やはり大規模に切り出された中川側の資料がみあたりません。山形市内へ流通は、高畠石より中川石の方が流通しているようです。山形県鉱業課が編纂した山形県鉱山誌には唯一、中川が載っています。確か、川崎電気の鉄筋アパートがあったあたりに集荷場があった記憶があります。
いつごろから始まって、いつ終了したのかご教示ください。
山形応用地質研究会誌に原稿執筆中ですが南陽市の資料は、摩崖仏を除いてみあたりません。よろしくお願いします。。
2025/03/01 11:45:田宮良一
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北山(岩部山)の山の神です。
木製ではなく、石製の男根が奉納されています。
石製なのは岩部山の石切場で働いていた石工達が信仰していたからです。
岩部山の石切場へ行く途中に山の神を祀り、旧二月十六日、十月十六日には休みとして餅を搗き、重箱につめて、煮〆などをつくって山の神の前で飲食をしたし、「山の神はきれい好きだ」とて、石くずなどないように、きれいに箒で掃いてから仕事にかかった。
(南陽市史民俗編より)
建立記念碑には「大正十一年(1922)二月十七日」と刻まれています。
大正11年は松田力弥氏を長とする「中川石採掘組合」が設立し、採石が本格化します。
山の神の祭りは2月と10月の17日に行うことが多いことから、祭日に合わせて建立したと考えられます。
現在は4月17日に山の神、岩部山三十三観音、北山古峰神社の祭礼を行っています。
市史に十六日と記載されているのは、以前は16日に祭りを行っていたからでしょうか?