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▼高畠金原 玉竜院の獅子頭

高畠金原 玉竜院の獅子頭/
獅子頭拝見の旅がまだ続いている。

11月21日高畠町の五百羅漢で有名な金原地区の 玉竜院に訪れた。

日曜日「小松の詳しいオジサン」と情報交換した際、玉竜院の獅子頭の写真を戴いた。

詳しいオジサンは白髪の髪が伸び、ロンゲになってきている。

しかし今日は身なりが整って怪しくない。笑


写真の獅子は面長で色はグレーで、脳天に如意宝珠が付けられ横顔がシュッとしてハンサムで

ある。

塗りの技術も高く、表面がユズ肌仕上げの獅子頭は初めて見た。

川西の尾長嶋玉光寺、東大塚の須貝庄右衛門家の獅子と幾つか目に浮かんできた。

次の日さっそく玉竜院に連絡し、火曜の三時半から拝見するお願いをした。

ちょっと早めに出かけて、安久津八幡に寄ってみた・・そこから二井宿の大社(たいしゃ)神社

へ・・こちらの神殿彫刻も見事である。実は、こちらにも獅子頭があるというので虎視眈々と

チャンスを伺っている。


まだ約束の時間まで間があるので町の図書館で情報収集である。

例祭に関しての情報を確保し目的地に向かう。

獅子頭の出会いの瞬間が至高の瞬間なのだ。

3時半前なのに、日没まであと僅か、曇天も加わって薄暗くなってきた。




すり鉢状の地形と墓地に囲まれ閑静な寺院の山門をくぐり、左手に梵鐘と大蔵が見える。

こちらに五百体の羅漢像が安置されているのだろう。庫裏(くり)の玄関が少し開いていて

中から人の声が聞こえるが、約束の時間なので呼び鈴を押すと帰ろうとするお客と、ご住職が

出迎えてくれた。






さっそく五百羅漢のお堂に案内され入ると、おびただしい羅漢や観音像が神々しい光景が目に

飛び込んできた。市民文化会館でステージに1人立ったような1000の視線を感じる。

すぐ羅漢像の中から場違いな様な獅子頭が視野に入ってきた。










宝珠も目立って朱と銀と金の三色に塗られている。

獅子頭の内部を拝見すると、さっき書いたばかりと思わんばかりの記名が残っていた。

今から182年前とは考えられない新鮮な筆跡だ。






内容は   
       別当  玉竜院  良印和尚 代
  
     奉 寄進

       観世音菩薩寶前

       天保六年未年(1835)

       新田(金原地区の南にある地区)

       彌次右衛門(屋号)伜(セガレとは息子の意味)
 
       弥市 自(弥市という作者名)
           彫寫


                           とある。






似ているという川西町尾長嶋 光玉寺所蔵の獅子頭の記名は


      奉納獅子  
        一頭
     当村
       彌六

     弘化三年(1846)
六月二十五日
      自作之
                           とあった。










二つの獅子頭の作者 弥市(彌とも書く)と彌六は親子関係ではないだろうか?

制作の年は11年だけの違いで、筆跡も違う。

光玉寺の獅子頭には「当村の彌六」とあるが、高畠から獅子頭が光玉寺に譲られたものか

彌六が尾長嶋で制作した可能性もある。

最初に別当 玉竜院とあるので隣の稲荷神社の獅子頭が玉竜院に移されたとも考えられないだろう

か?

ご住職の話だと新田の彌次右衛門(屋号)家が新田の観音堂前に存在しているという。

さっそく玉竜院から新田地区へ数キロ向かってみると直ぐ発見出来た。











増々薄暗くなってきた。

とある農家では灯りを点けて大根洗いに精を出している。

さて今日の獅子彫り探しは切り上げ撤収である。
2017/11/22 21:37 (C) 獅子宿燻亭6
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