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▼仕事の記録1975-1978年CBトランシーバ(その1)

仕事の記録1975-1978年CBトランシーバ(その1)/

CB無線は低コストで実現できる近距離用の音声通信のための制度で世界の多くの国で制度化されている・・米国ではオイルショックが原因で安いガソリンを求めトラックドライバーの間で急に所有する人が増え昭和48年ころから数年間ブームとなり輸出が急増する・・そのころ昭和50年(1975)に東芝日野に入社・・この年大手電機メーカでも自宅待機があったほどの不況の年・・通常4月1日入社が東芝では4月21日入社となった同級生で富士電機や三菱電機などもひと月近く自宅待機で地元のマルコン電子(コンデンサメーカ)は年明けまで自宅待機だったと記憶している・後にも先にもこの年だけ自宅待機ということがあったのである・東芝日野は通信機事業部として電話機、移動や防災・タクシー無線機、ポケベル、マイクロ通信設備や雨量計ダム管理、ファクシミリなど開発製造していてその中の伝送機器部小型無線課が初めての職場であった、水晶マトリクスで23chの輸出向けCB無線機の組み立て製造から調整・検査を一通り習った後、その無線機の製造技術に移動となりました、当初水晶マトリクスで23chを作るのに4×6個の水晶が必要で品薄になるほど増産に拍車がかかっていて、当時不況の輸出メーカはこぞって米国にトランシーバーを供給したのが日本企業でありました、新参入のメーカーを含めて輸出に乗り出し乱立した粗悪無線機の不要輻射にCHが少ないため混信がおおくなりFCC(米国の無線管理局)がスプリアスの10dbダウンと40chに増やすなど新機種開発とその認定のため当時開発担当は相当苦労しました、オイルショックに苦しむ日本の電子工業会にとっては救いであったのですがブームはあっという間に去り倒産企業や大きな痛手を受けた企業も少なくなかったのです、製造技術では先輩について製造資料つくりや調整方法などを学び、始めて任された仕事が米国ダイナスキャン社に納める量産認定のための100台の試作品製造とその調整試験に性能評価を行うことでした、100台の無線機は全米の店舗に置くデモ機となりユーザの評価も受けることになるのです・・そのなつかしい無線機コブラ132XLRネット検索すると出てきました外観写真に回路図も検索できましたなつかしいです・・当時回路図は製品に入っていて知識ある人はかってに改造するのが当たり前のようでしたね・・米国への出張もこの仕事を担当するのがきっかけで行くことができてほんとにうれしかったのを覚えています、ダイナスキャン社のCB無線機いまでも販売してるようです・・その本社前と本社ロビーで担当機種COBRA132を指さして当時はやっていた”みじめ”というポーズで写真AM,SSBの車載用にAM専用の車載器とホーム型のAM,SSB機種3機種が東芝製で担当した132は性能NGの評価となりリワークするというのが出張目的でした他にユニデン、当時トリオの会社も同じようNGがあって改造に来ていたようです・・その2につづく・・

 


2018/01/08 06:20 (C) Atelier Li-no
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