ヤマガタンver9 > 仕事の記録1975-1978年CBトランシーバ(その2)

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▼ 仕事の記録1975-1978年CBトランシーバ(その2)

 仕事の記録1975-1978年CBトランシーバ(その2)/

コブラがシンボルのダイナスキャン社はテレビの試験機、測定器の販売から始まりCB無線機に進出したメーカ、当初は自社設計で作っていた無線機もブームでより低価格とするために東芝、ユニデンに依頼することになる、大手企業のモトローラ技術部門で技術を習得して独立無線機に進出と聞きました、ダイナスキャンのサービス修理を行うところでユーザからの評価ヒアリングの機会がありました・・盗難が多いということ、なんでも自分で作るという文化があり改造あたりまえという感じ、鉄砲で打ち抜かれたとかという製品も修理依頼されるとか驚きです・・修理会社もみな大手から独立開業したメンバーと聞きました、会社に忠誠尽くすというより会社を利用して個人で開業するとか会社を渡り歩くという文化の違いに驚きを感じてましたね・・この時はまだ旧機種の水晶マトリクスの製品で東芝製はすこぶる評価が良かったのを覚えてます、当時各社はPLLを利用した新機種投入の切り替え期でしたPLLとは入力信号や基準周波数と出力信号との周波数を一致させる電子回路、入力信号と出力信号との位相差を検出しVCO(電圧変化の発信機)とループを制御することで正確に同期した周波数信号を作ることができ、発信周波数を一定にする携帯電話や無線機の周波数制御に用いられる、技術陣はPLLを利用した新機種開発で残業残業でしたFCCの認可試験などもあり認定設備での新機種EMC試験にも行かせてもらいました・・機種はAM専用機ダイナの機種ではないですが当時東芝はダイナ、トラン、シアーズと輸出してました、私が製造技術で初の主担当となった量産認定機100台はすべて一人で調整試験、評価した店舗デモ機で思いの詰まった機種でしたがダイナの評価は最悪で当初数週間の出張は数ヵ月の長期に及ぶものとなりました・・当時駐在の開発技術は1名で製造技術と製造の2名で100台の132XLRと10台の135XLRという車載とホーム型の2機種のダメだし項目を一つ一つつぶしていくという長期の出張となったのでした・・・その3へ続く


2018/01/09 23:55 (C) Atelier Li-no
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