▼秋から冬へ2008/11/26 08:13 (C) ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
▼秋から冬への山は、なんか恐いですね。厳しい冬に向かっているからかな? 昨夜の深夜便のお話を、お聞きしていて、私も放し飼いにしていたチャボを思い出しました。よく「雄鶏には気を付けるんだよ」って、言われていました。私は、雌鶏と間違えられているのかなって思っていました。が、実は、愛する雌鶏を守っていたのですね。
ステンレスのボールを俯けに地面に置くと、その上に雄鶏が飛び乗ってダンスをするんですよね。面白いので、じっと見ていると、「雄鶏は、ボールに写った自分の姿を雌鶏と思って、交尾しているんだよ」って、言っていましたね。「そうか、それは雄鶏を騙したら可哀想やな。ボールを除けてやってよ」って言うと、手に持ったボールに付いているのを指差して「これが、雄鶏の精子なんだよ」って・・・・。昔々、話してくれました。 雄鶏は、雌鶏を勇気を持って守っているらしいけど、雌鶏は雛鶏を命を掛けて守るんですよ。放し飼いにしていると、昼間は菜園・牛の下・庭などで元気に歩き回って遊んで、夜は野良犬に狙われないように高い所に(力の強い順番に高い所から)寝床を作るんですよね。・・・・春さきに、その場所に卵を産んで温めます。確か、21日間位だったよね。「ピヨピヨ」って可愛い泣き声が聞こえたら、すぐに下に降ろして(まだ孵化してない卵も一緒に)巣箱を作ってやります。でないと、ひよこが落ちて死ぬんです。そんな時に、起こった事なのですが、夜、野良犬がやって来た。さあ、どうなったと思いますか・・・・? 本当は、可哀想で思い出したくないんだけどね。 翌朝、チャボの羽が一杯飛び散っている。・・・お母さん鶏が居ない。・・・探していると、家の前の小川の小さな橋の下にお母さん鶏の無残な姿。夜は(鳥目で)見えないと思うのだけど、子どもたちを守るために必死で、そこまで野犬を連れ出したのでしょう。自分の身を犠牲にしてね。雛たちは、みんな巣箱の中で生きていました。でも体温が下がると動けなくなる「この雛たち、どうなるの?」・・・・ちゃんと、別の雌鶏が温め始めました。・・・・ 「私の身体を食べてください」と言って、火の中に身を投げたうさぎの話みたいでしょう。きっと、観音様か女神様なんですよね。 ・・・それで、お月様の中には、うさぎが住んで居るんですかね。餅つきしながらね。 昔々の事と言っても、ほんの6〜7年前の事なんだけどね。鮮明に思い出してしまいましたよ。昨夜の、深夜便のお話を、聞いていてね。 なんで? さくらは病院だろうが。・・病院からも100円入れるとネットができるんですよね。見つけちゃったです。ルンルン! でも、今夜の看護は、叔父さんが代わってくれました。「夜は、叔父さんと叔母さんで泊まるからな。さくらさんは、昼間頑張ってくださいな」との事なので、「ありがとう、よろしくお願いします」って帰って来ました。実家の母には、内緒にしておきたいけど、もうバレてるかな。看護、付き添いを怠けているとね・・。実は、心配です。また、実母に何を言われるかね・・・。 2008/12/02 21:24:山さくら
▼山さくらさんメンドリの話、いい話です。
本当にニワトリを見ていますと、学ぶことが多いよ。 ときどき、俺達、大切にすべきものを何か間違っているんじゃないかなんて反省させられていますもの。でも、同じように暮らしていくんだよね。そして・・・また反省させられたりして・・・。 2008/12/05 08:41:菅野芳秀
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秋から冬に向かう今の季節は、壮大な「いのち」の交替期だ。
森の木々はすっかり葉を落とし、草ぐさは朽ちようとしている。
自然界全体で見れば、一つの生命の終りは、もう一つのいのちの始まり。
やがて、それぞれが土に戻り、養分となって新しい「いのち」に役立てられていく。新しい生命に参加していく。加わっていく。いのちのめぐり、いのちの交替期。土はその舞台。
朝日連峰のすそ野、雑木林に分け入る。
モクモクとしたやわらかい落ち葉の床。土の感触が伝わってくる。
あたりを包んでいる甘酸っぱい香り。草や葉、たくさんの生物達が土に戻ろうとして放つ醗酵の香りだ。
それらが私を柔らかく包みこむ。呼応する身体とこころ。ゆったりとした、しみじみとした感動が湧いてくる。
秋から冬、それはとても哲学的な季節だ。
(バックナンバー「シーッ静かにしよう」にも同じ世界があります。)