▼ある日の話から2009/01/15 21:50 (C) ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
▼丁寧に読んでない、私の感想です。申し訳ないです。 昨夜、友達にメールを送った後、夜中にそっと空を飛ぶニワトリを開いてみました。・・なに?・・これ?・・文字ばっかり!カーソルを下ろしても、下ろしても続いている。目が疲れてチラチラしていた私には、もう無理!・・・今夜は寝よう。
今日、父母をデイサービスに送り出した後、もう一度恐る恐る開いてみました。あっ、写真が入ってる。凄い雪・雪・雪! こんな所を歩いてみたかったんだ。誰の足跡も無い所を、どこまでもね。それもね、雪が降っている時がいいなあって、でも、風と氷柱は恐いのでいらないって、思っていました。 なので、写真に釣られて、読む事になりました。でも、私には中身に関しての感想は書けない。知識不足でね。 ただ、柿の種さんに、素晴らしい青空と、きれいな海と、沸きいでる水と、豊かな大地は確保して残しておいてあげないとね・・、繋いで行きたくても出来ない悪環境状態に、柿の実がしてしまったらイカンなって思いました。 話は変わりますが、私は、家のすぐ近くに、この5月にオープンする宗吉瓦窯跡史跡公園のボランティアガイドの勉強会に参加しています。瓦と窯の勉強だけかなって思っていたら、今、中国・朝鮮・古墳時代から飛鳥・奈良・平安と藤原宮・古代寺院・その時代の人々の生活・等々ありです。{訳わからんよう!}って顔して講義を受けていたら、昨日、講師先生から「こういう、難しい話をガイドさんにしてくださいと言っているのではありません。ただ、こういう事を知った上で説明するのと、奥を知らないで説明するのでは、違うんです。それは、聞いている人が解り、見抜きます」って、言われました。 その事と、この菅野さんの農業・地域・食への凄い思いと考えが、たまたま同じ日だったので、私の中では一緒になって、また巡りだしました。私も、今、自分の出来る事を怠けないで頑張らなイカンなって思い直しました。・・・本当はあんまり難し過ぎて、読めん文字・人名・国名・地名ばっかりで、私にはもうダメだって思っていました。「すいません、資料にふり仮名を打ってくださると嬉しいんですけど」って、お願いもしました。・・・(やっぱり、恥ずかしい事だったかな) 今から、人形浄瑠璃の練習に行ってきます。どれも、私の町の宝物です。次世代に残していきたい(繋いでいきたい)大切な宝物だと思っています。その思いと、思いを一にする仲間とのふれあいを大切にせないかんなあって、再認識しました・・・・。 この、ナガ〜〜〜イ、長い、菅野さんのお考えからね。 中身は、またゆっくり丁寧に、目がチラチラしない時に読ませていただきます。では、今夜は鍵開けの当番なので、行って参ります。 (追伸)冬来たりなば、春遠からじ・・、ですよね。 厳しい冬(寒さ)のあとには、必ず暖かな春が巡ってくるんですよねって、私は信じていますよ。 だって20年も じっと苦境に耐えながら、僅かな希望の明かりを絶やさないように前向きに努力している人がいっぱい居るんですからね。 2009/01/16 18:34:山さくら
▼長すぎたかな・・やっぱり、長すぎましたかねぇ。
そうかもしれないとはおもっていたのですが、たまにはいいだろうと・・気をつけます。 でも、この写真だけはいいでしょう? この眺めは春、夏、秋、冬いずれもいいんです。 この道の向こうに集落がありますが 左に3件目が我が家です。作業所しかみえませんが。 2009/01/16 23:06:菅野芳秀
▼テープ起こし 大変でしたね。このような長文。ご自分の論でも聞きなおすと、微妙な言い方で、漢字を正確にすることで、再度伝えなおしのような事になります。私の手元に起こしてないテープを放ったまま年越ししてしまいました。
山さくらさん本当に冬来たりなばって私も昨夜思っていました。小正月過ぎると節分がすぐやってきます。 町の宝物と言えるものがあるって素晴らしいです。 2009/01/17 08:52:文庫 番:URL
▼お酒飲みながらは、読めんけどね! 「本当にご苦労様でしたね!」って、最初にご挨拶せなイカンかったですね。ゴメンなさい何時も自分中心で・・・。
今、方向性を失っている人たちを批判するだけではイカン。それとは別の文脈で、それ以上の情熱とエネルギーを持って希望の芽を育て、さらに、方向を失っている人たちが正道に目覚めるようにですよね。 そのために大切なのは、反対を通して、具体的に何を実現していくかですね。 3つ目は、地産地消ですかね。これって、最近よく聞くようになりましたね。私が初めて聞いたのは5〜6年前、まだ仕事をしていた時でした。学校給食献立委員会で、そういう話が出たとき、私は初めて聞く言葉でした。私たちの町内では、それだけの量を指定された時に納入できる農家が無いでした。大切なのは、そこでどうするかなんですよね。・・さあ、今はどうなっているのでしょうね。『地域の自立と自給』のために探ってみますね。 四つ目・五つ目・六つ目、またさらにびっくりしたらイカンので、省略ですか?・・・私は4と5と6、楽しみです。特に、4と5、またお願いします。 雪一杯で、ゆっくり出来る日に、お酒でも飲みながら・・・。 『食品成分表の改訂』も、『食べものと、幼児・児童の性格との関連』なども、よく栄養士さんから聞かされましたね。 3世代、4世代同居の家庭の子は、不思議と偏食が少ないんですよ。それと、他児への思いやりの気持ち(自分の事のように考えて、一緒に喜んだり、悲しんだり、痛がったりなど)が、素直に表現できる子が多いんですよ。 後、レインボープランは、夢のような虹の掛け橋なので、人々の心をつなぐ、農と市民をつなぐ、農と未来を担う子どもをつなぐ、農村と町をつなぐ、まだまだ他にも一杯いい事があるのでしょうと思っています。 夢は、夢でいつかねの希望を心に秘めて、熱くして、練りながら・・・保っておいて・・・、 今、目の前に迫っている事をします。・・・お昼のご飯の準備。・・その後大正琴の練習です。 菅野さん、長い・なが〜いって、よく読まないで書いてしまってゴメンなさいです。読むのも大変な位っていう事は、書くのはその100倍位大変なのですよね。よく解ります。もう私には、全体を考えて構成してという文章は書けません。・・・いつも、思いのままで、お許しくださいね。・・・・でも、また書かしてください。 (また追伸)レイチェル・カーソン著『沈黙の春』『失われた森』にはしたくないですよね。お金が大切な人たちは、みんな農薬会社の見方なんですよね。今だけの損得で動いたら後で取返しがつかんのですよね。今の熟柿さんに頑張っていただいてね。『センスオブ・ワンダー』が、いいですね。 2009/01/17 11:02:山さくら
▼読ませていただいてよかった。断片的には、かなり、知っていた話も、こうして、まとめて読んでみるとよくわかるし、第三者なりに全体像がつかめる感じがしました。
しゃべった原稿を直して・・って言われると結構困ることがあるのでは?読み手を期待するのと、書き手を期待するのでは、違いますもんね。 こうした原稿は、後々まで残るので、是非、時間を割いていいものを残されることを期待します。 どこで、どう出てくるか判りませんからね。 「現状を嘆いたり、できない理由をいい募っている人とは、話を聞くのも時間の無駄」 なんだか、このごろ、人生をあせっているのか、こんな気持ちがしていました。 菅野さんが書かれたとおり、対案を持って・・・これが基本的な物事への臨み方でしょう。それがどんなものでも、前向きであるというだけですばらしい価値がある。私はそう信じます。 「最後の授業」のランディー・パウシュ教授の言葉に ≪レンガの壁がそこにあるのには理由がある。僕の行く手を阻むためにあるのではない。その壁の向こうにある[なにか]を自分がどれほど真剣に望んでいるか,証明するチャンスを与えているのだ≫ 菅野さん始め,みなさんが取り組んでいるレンガの壁が、この論文で少し見える気がします。 2009/01/19 02:16:くみ:URL
▼レンガの壁がそこに・・・チャンスを与えている。うまい事考えますね。くみ様・・この言葉すっごくいいですね。何でこんなにうまく考えられるんでしょうかね。私の夫が平成15年に亡くなった時に「神様がね、そのことに耐えられる人に与えているのよ」って、言った人がいました。その時、私は弱虫なのよ〜って、神様の見当違いでしょって思いました。・・でも、今もその言葉と、言ってくれた人の顔は忘れません。言葉って凄いですよね。ほんの一言の言い回しで、頑張ろうって勇気を与えてくれますね。不思議な力を持っていますね。 話は変わりますが菅野さん、柿の種って、私はさるかに合戦の柿の種を想像していました。にぎり飯は、その場限りだけど、柿の種は次に繋いで行けるから・・・、でもよく解りました。誰が聞いても凄く解りやすいたとえに自分の思いを巧い事入れ込んで表現していますね。・・・で、わかったけど以前の写真の赤い実、柿なんですね。 戦後の混乱期に、国が食糧の自給をまっ先に考えて取り組み、そこここに普及所を作り、農業を応援したおかげで、戦後の復興が早かったんだと、私は思っています。今第一次産業が等閑にされているって感じる。それは、利益が無いからでしょうね。人が居て国がある。利益追求より、一人一人の人間を大事にせないかんでしょうって思います。そのために必要な安全な食べ物と安定した生活。人が人として人間らしく生きていけるための社会と自然が一番なのにネ。 夫が、農業をしていた頃の友達だったっていう人から、初めてメールが届きました。いつか、お墓参りがしたいって。雪が一杯だそうです。25ヘクタールの稲作農家。(わが息子に言うと、「うちは、そなんようけ作っりょったら、稲刈りの時にまだ田植えが終らんやろ」ですって)今から15〜20年位前の、東京に行っていた頃の友達だそうです。 その頃、うまく現状と未来予想を表現して相手を説得できなくて悔しかった・・と、それ以来、ずっと今も大学(通教)に通っているんですって。それは、誰の所為でもないのよね。政治はこうなるって決まっていたのよ。偉い人たちの間でね。昨日は、最高気温が氷点下って、言っていたので、うちよりは菅野さん所に近いかな?「苦しいけど、日本一美味しいお米を目指して頑張る。僕は負けない」って言っていました。 会社員であれば、定年間近の歳で、こういう言葉がでる事に、私は涙が出るほど感動しました。・・きっと、もう春がすぐそこに来ているでしょうね? えっ! 月曜日のこんな時間に、お前は何しているんだ?って、今日は私は夕方まで全て私一人の自由な時間になりました。義父母はディ・サービスで居ない。平日は毎日7時30分に来ていた孫もインフルエンザでママが仕事休んで家でみている。ラッキーディです。まぁ〜、病気だから少し心配はしているけどね。 で、こんなに長くなってしまったので、お詫びに写真頑張ってみますね。讃岐の西の方の今の様子です。今日は本当に、このお花たちも喜ぶ位暖かい陽射しです。田んぼには、ブロッコリーやレタスが次々に植えられ、収穫されています。・・・ステキな雪のお礼です。大きくしてみてくださいね。小さな花の金魚草と忘れな草です。尚、我が家の庭ではありません。 2009/01/19 11:49:山さくら
▼おつかれさま文庫番さん、くみさん、山さくらさん・・。いやになるぐらい長かったでしょう!お疲れ様でした。
ほとんど書き下ろしのようでした。自分の話を起こしたものとはいえ、話し言葉を文字にするとずいぶんニュアンスが違ってきたりしまして、加えたり、削ったり・・の作業がけっこうあるんですね。また、たとえば「地域農業と地域社会との結合」、とか「国家自給から地域自給への転換」(こんな言葉はなかったっけ?)とか・・・、こなれない言葉の数々・・。いまさらながら表現力の貧しさを感じますよ。 お付き合いいただいてありがとうございました。 2009/01/19 16:08:菅野芳秀
▼初アクセス!読みごたえのあるブログですね!!
初めてアクセスしました。 朝日連峰の雪景色の写真の美しさに息を呑みます。 娘に「この風景は、毎日食べているお米を作ってくれているところからのだよ」というと、あこがれの(今年は雪をまだ見ていないので)「わあ〜」という感嘆の声をあげていました。 お酒を飲みながら、読めたら幸せなのですが、妊婦の私はお茶を飲みながら・・・日本酒と焼酎大好きな私は、夫が飲む時に、香りだけかいで我慢してます・・・あ〜なんていい香りなんでしょう! 全文を丁寧にまだ読み終えてない段階で、コメントしていることをお許しください。改めてじっくり読みますね。 柿の種の逸話や、「対案」として成立するための、7つの枠組みについてもとても勉強になりました。 そして、女性の方からの以下のご指摘には深く共感しました。「農法の問題だけを強調しても仕方がない。それを誰と築いていくのか。今までの男中心のあり方を変えなければ、女性は寄り付かない」 私達も千葉にエコビレッジ建設中ですが、その際の主旨、目的、方向性として、ただ「エコであればいい、自給自足ができればいい」ということではなく、人と人とのつながりを大切にし、環境や自然との関係に留まらず、人と人との調和にももっと目を向けていかなければ、決して成功しない、といういうような話によくなります。 特に女性の私の感性では、ハード面や理念、志より大切なのが、ソフト面でしあり、それは誰とどのような関係性の中で共に創っていくか、ということです。そこを大切にできれば、ハード面は後からついてくるものだと思っているくらいです(^^;)。 菅野さんのブログ、これからものぞいて、勉強します! 2009/01/19 16:09:綿谷亜希
▼綿谷さん;で、書き忘れました。だめですねぇ。対案の2番。そうなんですよね。NPOレインボープラン「虹の駅」を運営してる市民20数名の90%が女性。NPOレインボープラン「市民農場」もほとんどが女性です。そもそもレインボープランを地域に定着させるために先頭に立って奮闘されたのは女性団体でした。それを書き忘れていましたよ。成果を生み出したのは女性を中心とする市民団体だったと言うことを書かなければ・・・。馬鹿ですね。
TBS『走れ!ポストマン』(1月25日(日))見ますよ。 2009/01/19 16:24:菅野芳秀
▼農村再生・帰納法的展開!先輩、山さくらさん、ともにやってゆきましょう! 時代の転換期、まさに激動の時代の到来ではないでしょうか。今こそ、日本の農村が再評価・見直しを必要とされるときです。先輩の長文は農民としての決意表明と解されます。じっくり読ませていただきました。今日は農村の駅の風景を送ります。鹿児島空港近くの「嘉例川(カレイカワ)駅」ですが、地方駅の名所に選ばれているものです。 追記:山さくらさんへ 携帯から写真を撮っているため、画像が悪く、また私が文明の利器にかろうじて対応しているため、細長い写真となっています。そのうち、性能の良いデジカメを買い且つ撮影技術も磨きますので当分はこのままで我慢下さい。 次に、種子島に帰った時でも、「種子島の黒糖作り」の写真を送れたらと思っています。その時は、このコメント欄を無償でお借りしますが、先輩、宜しくお願いします。 2009/01/20 19:35:種子原人
▼ちょっとションボリで、空飛ぶニワトリ開けたくなかったんですけどね。 種子原人さんの、また、楽しい写真が入ってるしね。種子原人さんに、「ごめんなさいね」先に、ようけ謝っておきま〜す。
実は私、前から思っていたんだけど、なんで、写真が細長いんですか? ほんで、大きくならないんですか? まだ、もう一つ、いつも写真の下三分の一位、余裕があるんですか? 何かメッセージを込めているんですか? カメラが違うんですか? なんか違う技を使っているんですか? 本当は、私も写真を友達に送って小さくして、送り返してもらっています。頑張って、自分で出来るようになりますからね。Wクリックすると牛の写真がお化けみたいになるんですけどね。あれね、何度もやり直そうと頑張ったけど、私にはどうしたら削除できるのかわからないんです。 でも、この愛嬌のある写真を見て、楽しくて元気が出てきました。JRの駅ですか。賑やかな駅より、私はこういう駅の方がホッとしますね。そこに写っている人と人の会話が聞こえてきそうな温かい駅ですね。こういう所は、時間がゆう〜っくり流れるんですよね。 実は、内緒にしておこうと思ったんだけど、寂しかった理由はね、昨夜の深夜便で、最後にそっと「後2回ですね」って、菅野さんがおっしゃったでしょう。ニワトリの話もよかったけど・・、我が家に居たチャボたちも同じ事していたなって、懐かしく聞かせていただきました。その、鶏の同じ姿を見ても、私はこういうふうに感じ取れなかった。 同じ物を見ても、これほど私の心は貧しいのかってね・・。 それ以上に最後の言葉がね・・・。 今日は一日中、義父母と一緒に家の中でウジウジしていました。 孫のインフルエンザもまだ治らないし・・。 年寄りばかりだと笑顔が少なくなりますね。 大寒だというのに戸外は暖かくて、お日様ニコニコ(小春日和)おむすび持って里山ハイキングが最高のお日和だったんですけどね。 今日は何となく終ってしまいました。一日の最後に、ここ開いてよかったです。すっきりしました。 また、自分だけ得しちゃったですかね。申し訳ないです。 2009/01/20 21:51:山さくら
▼話してきましたよ。コメントありがとうございます。
たった今、デーサービスで話してきました。 長井市内のあっちこっちのデーサービスに呼ばれて話しているんですよ。お相手は70〜80代の方々。話の題名は「おもしろい話」。その時々の話題を思いつくままに話しています。なるべく笑える話をと心がけているんですが・・・やっぱりニワトリの話が中心となります。彼らの社会(ニワトリの)をみていますと、人間の世の中と重なることがおおいんですね。それにずいぶんと教えられています。退屈なんかしません。いつまでだって見ていられますよ。なにしろおもしろいですよ。で、それにまつわるさまざまな話をするのですが、デーサービスでは手をたたいて笑ってくれます。こちらも調子に乗って・・ね。あっという間の60分でした。 今年から我が村の公民館長をしています。で、デーサービスでこんなによろこんでくれるならと、我が村でも「公民館長が語るおもしろい話」と題して、冬に退屈している方々に呼びかけようかと思ったのですが、我が家の年寄りから止められました。 「そんなことしたって誰も来ないよ。」 デーサービスの中のひとつの催しだから付き合ってくれるだけで、わざわざとなれば誰もやってこないよ・・・ということだった。そうかもしれないな。ま、やめておきましょう。 NHKはあと2回です。直前まで「山の神様」の話(バックナンバー参照)をしようと思っていたのですが、ぎりぎりで止めました。聞く人は肩の凝らない、気楽な話を求めていますよね。これから2回も気楽なトーンで話していきます。2/16です。翌日、関東で用事がありますので、ついでですからNHKのスタジオで話してみようかとおもっているんですよ。もう、終りですしね。 2009/01/23 12:39:菅野芳秀
▼歳は一つずつ平等に取っているんですけどね! 私は、中身が伴わない! ので、天然なんですよね。 妹にも言われます。「人はみんな100知っていて、10話しょんやで、姉ちゃんは、一つ知って一つ話すやろ」ですって。
「でもね、一つ知ってそのままにしておくと忘れてしまうのよ。人に話すと復習になって、自分の頭の中でまとまって、心の引出しに整理できるのよね」・・?おや、何かおかしいね。それって、結局自分のために人の時間を犠牲にしていたのかって、この歳になって初めて気が付きました。 でも、もう今さらキャラクターを変える事は出来んよな。 種子原人さん、種子島の黒糖作り楽しみにしていますね。昔牛が居た頃、サトウキビの絞りかすを与えていました。美味しそうに食べていましたよ。カスでも甘かったのでしょうかね。讃岐にも優しい甘さの、上品な和三盆糖っていうのがあるんですよ。そのまま口に入れるとす〜っと溶けて、メチャクチャ美味しいですよ。私にはめったに食べられない位、高価ですけどね。 菅野さん、公民館長さんって大変でしょう。「おもしろい話」っていうのいいんじゃないですか? 私は19年4月から「おもっしょ!ジャーナル」月1回、参加しています。大好きだった元教育長のお話なんですが、公民館主催です。どんどん聴講生も増えています。 昨年度まで教育委員会が担当していた、宗吉瓦窯跡ボランティア講座も、讃岐源之丞(人形浄瑠璃)も、今年度から公民館主催になりました。合併して市になってから、予算も随分削られて講師謝礼も足りなくなっています。今年度4月から公民館長さんも変わり、町で一人になりました。(今までは地区毎に居たので3人居ました)同じ講座の仲間なので、随分力を入れてくださっています。 でも、今までみたいに練習だけしていたのでは、置き去りにされてしまいます。自分たちで活動計画、会計、報告、要望、さらに広報活動もしなければならなくなりました。それだけに、みんなの思いも強くなり、心を合わせて、力を合わせて、協力できるようになってきています。状勢が厳しくなればなるだけ、みんながまとまって「なにくそ!負けないぞ!」って気持ちが高まるんですよ。 みんなで守り立てていく事が、楽しくなってきています。 2009/01/24 22:35:山さくら
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寒いですねぇ。
今日(1月15日)の最高温度が氷点下ですよ。一日中吹雪でした。
さて、あるところで話しをする機会があり、そのテープを起こしたものが送られてきたんですね。あんたの話だ。要約の添削、校正をやってくれと。
どんなところで話したのかといいますと、それが・・改良普及所の職員とか、農水省統計事務所の人たちとか・・農家とか。昔のことでいえば社会党支持の農業関係の人たちでした。
いつになく堅い話ですが・・まぁ、いいじゃないですか。お酒でも飲みながらお付き合いください。
(写真は今の我が村。後ろは朝日連峰です。ダブルクリックしてみてください。)
農の現場から−大いに議論し、我々の到達点を対案に!
−レインボープランの経験からー 菅野芳秀
【はじめに】
山形県長井市で、水田2.6haと自然養鶏といって、鶏をゲージではなく自然に近い状態で放し飼いにし、水田とニワトリとの循環農業をやっています。長井市は米沢盆地の穀倉地帯の中にあります。約3000ha
の農地があり、その9割が水田です。私のいる村落は、44戸でほとんどが農業に携わっています。
【高齢化と米価格の低迷のなかで】
会合などで公民館に集まると、かつては30代、40代が一線で頑張っていましたが、今はそのまま60代、70代です。
村の農民の平均年齢は67歳。全国的にみても同じくらい。農業に携わる者が一番多いのは70〜74歳だそうです。
山形県の主要作物は米。それは風景をみればわかります。その人たちが第一線で米を作れるのはあと10年もない。80代になったら自分の作物は作れても、他人のものまで作れない。
2006年に東北農政局が発表した米の生産費は15,052円です。私どものところで農家が農協に売り渡す価格は12,000円ちょっとです。農水省が発表した生産原価よりさらに3,000円ほど下回っています。米作にかかるコストを考えれば、つくらないほうがいい。
農水省の統計によると、水田農家の平均時給は179円だそうです。こんなことで暮らしが立つわけがない。後継者が消え、高齢化はますます進むだろう。
すでに日本の農業は、後戻りできない、修復不可能な領域に入ってしまったとさえ思えます。農業の危機といいますが、危機なんてもんじゃありません。ガラガラという崩壊の音が聞こえてくるようです。
「ときが来る。トキになる」という言葉は私の造語です。食、農、いのち、循環の時代がやってくる。だけど俺達百姓は佐渡の「朱鷺」になっちゃうよと。
やがて農の時代が来るでしょう。しかし、そこには農家はいない。農民はいない。農の時代は来るが農家と農民の時代は来ない、そういう未来を描かざるを得ません。
【難局には「対案」を持って参加する】
ですが、そんな中でも私たちに何が必要かと言えば、依然として「対案」、断乎として「対案」だと思います。。「愚痴じゃなく対案を」。今のようでないもうひとつのあり方を農業の現場から示すことです。
よく柿の種の話をします。こんな話です。12月頃になると、熟した柿がぽとぽと落ちる。カラスが留まっては落ち、風が吹けば落ちます。この落ちそうな柿に尋ねてみます。「今の心境を教えてほしい」と。柿は、「危機だ。俺たちには未来がない、落ちて破裂して終わりだ。」と言うでしょう。
柿が予想したように、やがて落ち、柿の実の物語は終わります。だけど、今度は柿の種に聞いてみます。種は「これから俺たちの時代が始まる。希望が近づいている」と言うに違いがありません。
つまり、同じ柿の中に同時に進行する二つの物語があります。実の立場から嘆くのか、それとも種の立場に立ってこの局面に参加するのか・・・この違いは大きい。柿の種の立場からこの難局に参加する。「対案」を持って参加することが、私たちに求められている。そう思います。
NHKの大河ドラマの「篤姫」の中に、難局に「対案」を持って参加しようとした田舎侍たちが出てきます。そういう先人を範として、この局面に参加すること。いま方向性を失っている人たちをこれ以上批判しても始まらない。それとは別の文脈で、それ以上の情熱とエネルギーをもって柿の種、希望の芽を育てていかなければならないと思うのです。今までの取組みの中で育んできた世界観の中味が、実践的に試されているのだと思います。末席ながら農民運動に参加してきたものとして切実にそう思います。
【対案への条件】
さて、これからご紹介いたしますのは、山形県長井市で地域を上げて取り組んでいるまちづくり、生ゴミと健康な農作物が地域のなかで循環する地域づくりにかかわる話です。レインボープランという名の、その事業の立ち上げにはたくさんの人たちがかかわりました。私もその中の一人でした。私は農民として、レインボープランの中に、地域と農業の未来を築き上げようという、自前の「対案」を重ねていました。20年前のことです。
1989年頃、GATTの話が出たあたりから、今の農業の状況は予見できました。その時に私は「対案」の必要性考え、その中味と建設の条件について考えていました。GATTを反映した政府の農作物貿易自由化政策に反対しているだけでは、ただジリ貧になっていくだけであって、重要なのは反対を通して何を実現していくのか、何を育んで行くのかだ、と。
「対案」として成立するためには、時代的な条件があります。私は7つの枠組みを考えていました。この7つを重ねた向こう側に見える岸辺が、私たちが到達すべき世界であると。
今は時代的転換期。開発と右肩上がりの発展史観に支えられた、目先の経済効率を第一とする社会から生命系の循環と持続性を第一とする社会への大きな移行期。「対案」はそれを内包したものでなければならない。
1つ目は生命系の原理に立つ農業の確立。
2つ目は多様な人たちが自分らしく生きていく村社会・地域社会を築くこと。
最初、私たちは生命系の原理に立ちながら、循環型の農業をやっていくのだ。食のみならず、環境の点でも人類的課題の求める方向で力を発揮していかねばならないのだと強調していました。ところが女性たちから「農法の問題だけを強調しても仕方がない。それを誰と築いていくのか。今までの男中心のあり方を変えなければ、女性は寄り付かない」との指摘を受けました。
確かに農法の問題とそれをつくっていく人の問題は別々の問題ではない。私たちは農業を通じて、お互いの違いを認め合い、両性が幸せになっていく道を築かなければならない。障害者、外国人を含め、社会的マイノリティとともにその道を築いていくことが大事だ。
3つ目には地域の自立と自給です。当時、先に述べたように、GATTという形で、巨大アグリビジネスによる農作物の世界市場支配が始まっていました。それを受けて、当時の私は、近隣の農民仲間とともに、“まず「国家自給」があるのではなく、その前に「地域自給」を。地域自給圏のモザイク的集合体としての日本列島の自給を、というのが順序だ。よって「地域農業と地域社会」の結合を。その視点に立って、大都会に一元的につながれてきた生産地と消費地の関係の転換を。地域の自給をまず実現し、その「余ったもの」を大都会へ”と主張していました。それらを織り込んだ「地域の自立と自給」。これが3つ目の条件です。
4つ目には民主主義。5つ目には地球的視点。6つ目には異文化との交流。7つ目には開かれた家族農業を基本とするということでした。
4,5,6の説明は省くとして、7番目のことに関しては、GATTからWTOへと至る中で、アグリビジネスに対抗できる勢力は、世界的にみても家族農業だろう。家族農業といって も社会に開かれた家族農業、暮らしと共にある農業と言う意味合いでした。
【快里(いいまち)デザイン研究所】
田植えをしながら・・草刈をしながら・・いつも頭の中は「対案」をどう実行に移せるか・・。このことばっかり考えていました。世間にむけて、あーだ、こーだと理屈を言ってまわってみても、同じような人間がこじんまりと集まるだけ。そんなスケールでは何にもかわりません。どうすればいいか・・・何を架け橋にして・・・。あるとき「これだ!」とひらめくものがありました。生ゴミです。同じ市内のまちの消費者の一軒一軒の台所から出る生ゴミを分別収集し、堆肥原料とする。その堆肥を活用して作られた作物をまちの台所に戻す。生産者も消費者も農と食に参加する地域ぐるみの取り組み(やがてこの構想はレインボープランと名づけられます)。これによって・・・もしかしたら・・農業が変わる、地域が変わる。もっといえば、WTO(当時はGATT)下の、地域から始まる数少ない防衛策の一つとなるのかもしれない。
そんなある日、思わぬ声がかかります。1988年に長井市の企画課が、市民に住みたくなるまちを自由に構想してもらおうと、「まちづくりデザイン会議」が設立されました。1990年にはその構想を更に発展させようと「快里(いいまち)デザイン研究所」がつくられました。私にもその研究所の一員として参加するよう要請があったのです。
「デザイン会議」の農業部会の提言の中に「土が弱っている。土作りをしたくても家畜がいない。堆肥原料がない。」という生産者の声がありました。他方、消費者からは「地元の作物を食べたいが、どこにも売っていない。スーパーにあるのは遠隔地のものばかりだ。同じものが長井にあるはずなのに、海外のものも並んでいる。」という声がありました。田舎の市場にも海外の作物が侵入してきている。農家が国家自給率の少なさを嘆く前に、しなければならないことがここにある。
【深刻な土の弱り】
一方、農家の声として出された土の弱りの問題は深刻です。
ここに「食品成分表」の1954年の2訂から2000年の5訂までの、野菜のもつ成分の移り変わりをピーマンで比較した表があります。この表を見ると、食べられる部分100g中に含まれるビタミンAの成分値は1954年には600単位あったものが、2000年には33単位になっています。おそらく見た目は同じみずみずしいピーマンだと思うのですが、ビタミンAをピーマンから取る限り、18個食べなければ昔の1個にならない。更にビタミンB1は3分の1に、B2は半分以下に、ビタミンCは3分の1になっている。同様に、カルシウム、リン、鉄、ナトリウムなどのミネラルについても、その含有率は大きく低下しています。これはピーマンだけに限りません。ほとんど全ての野菜にいえることです。
どうしてこんなことになったのか。それは土の弱りと関係します。いうまでもなく、1954年頃は堆肥で作物を作っていました。1961年の農業基本法以降、機械化、化学化、単作化が推進され、化学肥料や農薬に頼る農業に変わっていきました。そして土がどんどん弱り、それに合わせて作物の持つ栄養分、おそらく生命力も弱っていったのだと思います。
よく子どもたちがキレやすいとか、粘り強さがないとか、授業中落ち着きがないとか言われ、その原因を家庭教育のせいにする話を聞きます。でも、多くは食べものの問題だろうと思っています。子どもたちはその成長期において、栄養分が1/2,1/3と低下した作物を食べ、自分の身体を作らざるを得ない。こんな食べ物で健康な身体になれるだろうか。どっしりとした精神が育つだろうか。キレやすい子どもの背景には、弱った土と養分の低下した作物の関係があるように思います。
この問題は土に有機物を投入し、土を肥やすことで解決しますが、最小コストで最大利益を上げようとする市場経済の下では難しい。市場ではなく、生産者と消費者との新しい関係のなかで、課題が共有され、解決への道が始まるだろうと思います。それはレインボープランの課題となっていきました。
【実現への一歩】
まちづくりデザイン会議の会議録には、生産者から堆肥の原料を、消費者からは地元の作物を・・という声があがっていました。「快里デザイン研究所」に参加した私はそれを受けて、生ゴミを活用する構想を提案しました。消費者が有機肥料・堆肥の原料としての生ゴミを分別収集し、農民の土作りを支え、農家がその堆肥を活用し、できた作物をまちに送ることで台所の健康な食生活を支える。あわせて地域自給を高めていく。今風に言えば、農業を基礎とする循環型社会。この構想は他の所員から肯定的に迎えられ、「レインボープラン」と名づけられました。もし、実現すれば、生ゴミを媒体として、さまざまな新しいつながりを築いていくことができる。生ゴミはあくまでも架け橋。その活用を通して、まちとむら、生産と消費、農業と台所、今と未来が新たに出会うだろう、そこからまた何かが生れていく。
「対案」実現への可能性が出てきた。ここから、デザイン研究所の仲間達とともに、実現への歩みが始まります。
【道が拓かれて・・】
デザイン会議の仲間達とであい、私の荒削りな構想が、更にきめ細かいものに仕上げられていきました。そしていよいよ実現への働きかけが始まりました。市民、商工会議所や病院・・地域を支える中核的団体、行政、農協へと働きかけていく。
必要な全ての人、団体、機関の参加を獲得し、市民を事務局とするレインボープラン推進委員会ができたのは1991年。堆肥センターが立ち、事業が実行に移されたのが1997年。ここまでの話の中に、血沸き、肉踊る話や涙をさそう話がたくさんありますが・・止めておきましょう。以来、レインボープラン推進協議会のもと、市民と行政がイコールの立場で話し合いを重ね、少しずつ修正を加えながら今日に至っています。
【レインボープランとそのいくつかの成果】
長井市の人口は約3万人。世帯数は約9千。まちの中に5千世帯、周辺部に4千世帯。レインボープランは、まちの中の5千世帯から出る生ゴミ(年間1千トンほど)を堆肥の原料として集め、籾殻と畜糞を加えて発酵させ、堆肥を作る。それを農家が活用し、農薬、化学肥料を制限して米や野菜を作り、できた作物を町の台所に運ぶ。まちの消費者は堆肥の生産者。村の生産者は堆肥の消費者。それぞれが生産と消費を分かち合い、地域社会と地域農業が循環的関係の中で結ばれていく。この地域ぐるみの事業は、農業政策であり、環境政策であり、食料政策であり、住民自治を高めていこうとする地域政策でもある。行政の縦割りではくくれない、各課横断の、生活者の政策だということでしょう。もちろん、まだまだ課題が多く、発展途上ではありますが・・。
7つの「対案」の視点から見て、どこまで歩んで来たのかを考えれば、まだまだ未熟です。課題としてあげられてきた経済的成果もまだまだです。しかし、いくつかの重要な成果を残しています。
レインボープランをすすめているのはレインボープラン推進協議会。50名ほどの市民が五つの委員会に分かれて、事業の推進に智恵と汗を提供しています。ここでは市民と行政が同じ地域の生活者として、イコールの形で協議し、決定を分かち合っています。行政主導ではありません。(住民自治・民主主義)
稼動して12年目にあたる今年、まちの台所の生ゴミはほぼ全量堆肥の原料となっています。市民は生ゴミの分別が堆肥づくりであることを知っています。その意味で市民の台所と地域農業がより近くなりました。(生命系の原理)
レインボープラン作物は、三つのルートでまちの中に戻ります。一つはNPO市民市場「虹の駅」やスーパーのレインボープランコーナーなどを通して。二つは学校給食。三千名ほどの子どもたちの学校給食は米飯給食ですが、お米はレインボープランです。旬の作物も活用されます。三つめは食品加工品。レインボープラン豆腐や納豆、味噌、饅頭、酒、クッキー、蕎麦、ラーメンなど。みんな長井でとれた農作物を原料としています。このように地場の農業と地場の食品加工業が生ゴミを通してつながっていきました。(地域の自立と自給)
堆肥の量に限りがありますが、レインボープランは長井市の環境保全型農業にも大きな一石を投じています。レインボープランはもとよりゴミ対策が主ではありませんが、生活系可燃ごみが30数%減りました。(生命系の原理)
この事業の中から2つのNPOが生まれました。先にあげた「レインボープラン市民市場・虹の駅」。「虹の駅」はレインボープラン作物の直売所機能をもちますが、市民理事のほか、20名ほどの消費者・市民が運営に参加しています。もう1つのNPOは、農家と40人ほどの消費者が参加して運営されている「レインボープラン市民農場」。50aほどのハウスと露地を使ってさまざまなレインボープラン野菜を栽培しています。(地域の自立と自給・開かれた家族農業)
子ども達への格好の地域学習の教材を提供しています。長井市の子ども達は、学校の授業でレインボープランを学んでいます。(地域の自立と自給)
【全国、海外・・タイへの波及】
レインボープランには今でも全国から多くの視察者がまいります。海外にも波及しています。たとえばタイ。タイ東北部の二つの町で、生ゴミと健康な野菜が地域のなかで循環する、それもレインボープランという名前の事業が稼動しています。
タイは農作物の輸出国です。キャッサバやサトウキビ、米、ジュートなどで農地が占められています。それらが好調なうちはいいけれど、世界不況の中で輸出価格が下がると、にわかに生活が厳しくなり地域経済は混乱する。つまりグローバルな市場経済の中で、タイの農民も翻弄されています。その様な状況から脱却すべく、輸出のための農業ではなく、暮らしのための農業、生きるための農業を求め、農民と消費者が連携し、世界市場から切り離された生活圏の自立・自給を目指す動きが始まっています。タイの農民たちもまた新しい方向を目指そうとしています。
タイと日本。輸出国と輸入国の違いはあっても市場経済に翻弄されている地域と地域が、相互に交流し合い、生活圏の自立と自給を目指す、新しい国際交流が生まれています。(地球的視点、異文化との交流)
【風前にともし火を】
およそ20年間、この危機を時代の転換期ゆえの危機と捉え、「対案」をもって時代に参加しようと考え、歩んできました。しかし、WTO交渉の進行する局面でどうなのか、長井やタイのレインボープランも、各地のさまざまな「対案」も、嵐の中の小船のように、大波にもみくちゃとなることは避けられないでしょう。それでもなお、くどいようですが、私たちは「対案」をかざして、この難局に参加していくことが求められています。もともと平穏無事な成長などはありえません。私たちが蓄積してきた世界観の中味が問われています。
今は時代の転換期。
風前にともし火を!
新しい希望を作り出す柿の種に!!
皆さん、ともにやっていきましょう。