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▼三中分校の歴史 

三中分校の歴史 /
 三中分校は、明治八年に八ツ沼村若宮寺に八ツ沼学校として設立されたことから始まります。同年、八ツ沼村、能中村、西船渡村の合併により三中村となり、翌年には三中学校と改称しました。その後、児童数が増えたことからでしょうか、明治十五年三月に現在の校舎である三中学校の新築工事がはじまり、同年十一月には、和洋風三層の新校舎が落成。校名もシンポジウムのタイトルである「三餘学校」と改めています。おそらく山形県内においてこの三中分校は、擬洋風(和風造りでありながら洋風造りを装った建物)の建物では一番古いかもしれません。
お話 : 石島庸男さん(山形大学教授)
(平成10年 旧三中分校シンポジウムにて)

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