▼脱ガリガリ君・・? 粘り腰2011/11/29 08:43 (C) FPのひとりごと
▼なるほど…無い事を嘆くより
有る事に重点をおく… 難しい事ですな う〜ん… 私の亡き祖母 (とある事情で60過ぎてから左足を付け根から切断したのですが、義足でパワフルに出かけてました) もそうだったんだろか? 2011/11/29 13:51:麦チョコ
▼とはいえ・・わかったようなことを語っておりますが
じとーっと暗く悩んだ日々もありました 私 小田実が好きなんです 彼が著書の中で 自分に信条というのがもしあるなら 『なんとかなるやろ』 だと書いていました この開き直り ちょっといいと思いませんか 2011/11/29 16:34:FP
▼うん、好きかも!『なんとかなるやろ』
いいですなぁ 『大丈夫』なんて白々しい 『頑張ろう』は苦しい 『なんとかなるやろ』 うん、いいなぁ 『そのうち、いいことあるさ』と続けば、なおいいなぁ(笑) 2011/11/29 22:29:麦チョコ
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帰宅というか退院は果たしたのであるが
それは健康保険の制度上やむなくの退院であった
リハビリ専門病院での入院は6ヶ月が限度だったが
退院の環境がなかなか整わず 結局7ヶ月の長逗留となった
(計算が合わないって? 公立病院の2ヶ月を加えてください)
最後は“もう無理ですから とにかく出てってください”という感じだった
(これ 小泉政権時代の構造改革=医療制度改革のとばっちりだ ったく〜)
でも
実情は 退院できるような体況には全然ありませんでした
だって ベッド⇔車椅子の移乗が一人ではできないし
食事や衣服の着脱といった生活の基本部分も殆どできない有様
惨状を見かねた福祉事務所の方が 介護系の療養施設を探してくれてました
こりゃ言われるまでもなく 施設に入った方がいいか とも思いましたが
年齢の問題で介護保険が対象外となり 入所できる施設もありません
かといって 家族やヘルパーさんに張り付いてもらうわけにもいかず
とにかく ある程度 一人で“がんばらねばならん”状況になりました
ま 成り行き任せってやつです 得意っちゃー得意ですが・・
環境が人を変えるというか 必要は発明の母というか・・?
まあ そんなようなところで 少しずついろいろやってみることにしました
なるようになる ならんものはならん みたいな感じで・・?
いろんなとこの可動域が狭い 筋力がない というのはこりゃしゃあない
いままでどおりにやろうとするから結果としてできないという結論になる
ならば“できない”ことをベースにして ゼロから組み立ててみようと
そしたら 独力で車椅子の移乗ができるようになりました
これ 障害者には画期的なことなんです
(人間にとって当たり前の)『移動の自由』を手に入れたわけですから
カップヌードルにお湯を注いでから“ズルズル”もできたんです
これで少なくとも家で餓死することだけはなくなりました
こうやって なんとか“障害者ライフ”の形が見えてきたのでしたが
食生活も成り行きに任せてしまい 半年で9kgも太ってしまった
これをなんとかせにゃならんという緊急課題が見えてきたのでした