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▼幸せの種を持つ人

幸せの種を持つ人/
 私は以前スーパーでアルバイトをしていました。その時、印象に残っていることの一つに、体の不自由な人のための駐車スペースに平然と車をとめる人が多いことです。声をかけますと「私だけじゃない、みんなしているだろう」とか「時間がないから」と足早に店内に入っていきます。
 
 たとえ見ず知らずの誰かのためであっても、ちょっとしたやさしさを持てたらいいなあと思います。自分さえよければそれでいいという考えは、自分を不幸にしてしまいます。自分の都合でしか世の中を見なければ、見えてくるのは不平不満ばかりになってしまうからです。自分と同じように一生懸命に生きている人が、この世界には星の数だけいるのですから。自分だけ優遇されることはないのです。
 
 足腰の悪いお年寄りのために、たくさん買って重い荷物を運ぶ人のために、少し離れた場所にとめられる人はすごい人だと思います。誰にも誉められることはないでしょうが、幸せの種を心に持つ人だと思います。 

今日の目標
 見ず知らずの誰かのために、何かをしてみましょう。

▼駐車スペースの件

私も よく感じる事です。

駐車場が広い スーパー等ですと、まだまだ駐車スペースがあるのに、 ・・・ 車いすマークに駐車される方を見かけます。
目の前でその事態を見かけると 本当、心が寂しくなります。

そのような大規模施設とは 別に、駐車スペースが3台分のような小さなお店で、 車いすマークがあると 戸惑います。(主に郵便局)

果たして ここへ駐車して良いのだろうか・・・

2台分は駐車されていて、車いすマークのみ空いている場合。
みなさんは どうされますか? 駐車しますか。 それとも 他の駐車場を探しますか? あきらめますか? 路上駐車しますか?
このようなケースは 形だけのサービスにも見えてしまって…  割り切って駐車させて頂く場合もあります。

このあたりの マナーを共通認識できたら もっと過ごしやすくできるのではないかな。

例えば 2台 埋まっている場合は 使用しても良いが 早めに開ける。とか。

お互いに気を使うことが 大切なのですね。
自分も気をつけなければなりませぬ。
2006/01/28 12:19:うめたま

▼私の理想

 たしかに、少ない駐車スペースに車いすマークが必要なのか難しいところです。私は車いすマークは必要なくなるのが理想だと思っています。
 
 最近はバリアフリーやユニバーサルデザインといった言葉も認知されてきているようです。エレベーターや病院の自動販売機なども、誰もが快適に使えるようにという工夫がされてきています。環境の方はだんだんと充実してきていると思います。
 
 ですから、これから必要になるのは私たちの心の充実だと思います。差別や偏見をなくし、誰もが体の不自由な方やお年寄りに、すぐに手をさしのべられる社会になれたらと思います。

 「私には関係ない」ではなく「私がさせていただきます」という心を持てれば、車いすマークがなくともみんなが安心して快適に暮らせるようになるのではないでしょうか。そういう社会になることを願っています。

おっしゃるとおり、お互いに気を使うことが大切ですね。コメントありがとうございました。
2006/01/29 12:30:副さん
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