▼東京大空襲の日2015/03/10 09:03 (C) 株式会社吉田製作所
|
▼100advertising▼ranking
|
(C) Stepup Communications Co.,LTD. All Rights Reserved Powered by samidare. System:enterpriz [network media]
|
▼東京大空襲の日2015/03/10 09:03 (C) 株式会社吉田製作所
|
▼100advertising▼ranking
|
(C) Stepup Communications Co.,LTD. All Rights Reserved Powered by samidare. System:enterpriz [network media]
|
東京下町地区の惨事から、70年の月日が経つ当時4歳の私は、神奈川県横須賀市
横須賀軍港を見下ろせる、服部山の横穴防空壕でけたたましいサイレンの
響きと、雪のように降り注ぐきらきらとした焼夷弾に、目を奪われ「お母さん
花火が降っているよ」といいながら外へ飛び出そうとして、大変叱られた
事を微かに記憶している。
アメリカ軍のB29爆撃機の大編隊が、轟々と爆音を
響かせながら、東京方面に向かっていると母親から後で聞かされた。
父親はインドネシアに、船舶修理軍属として横須賀海軍工廠から派遣されていて
母と一歳の妹と母子家庭での、戦時中の出来事であった。
東京大空襲の結末は、終戦後何年か経った後母親の実家がある山形県の寒村で
周囲の人達より聞かされて、漠然と知った思いがある。
戦争ほどむごたらしい人間の行為は無い、しかしながら現在でも世界の何所か
かしこで、群れを成しての殺し合いが耐えないのは、人間の持つ悪魔の性なのか
今日はブルーな気持ちで、合掌。