▼春・・まどろみの中で・・・番外編2006/04/21 06:53 (C) ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
▼物語は大切ですね菅野さん、こんにちわ。「俺たち自身」と言われると、ちょっと困ったりしますが、やはり物語は大切ですね。
僕も以前から物語の重要性を感じていて、面白い物語はないのだろうかと捜したことがあります。エコロジーないし環境問題という点で、夢や勇気を与えてくれるものがないだろうかと? ところが面白いものは見つかりませんでした。あっても宮崎アニメのようなファンタジーで、現実社会と大きく離れたものです。それならということで、いま物語の作成(構想)中です。ぜんぜん道半ばですが。菅野さんの「新しい童話」に期待しています。 2006/04/23 18:53:中野@東京:URL
▼わたしも・・。私の場合はこの冬、実際に「絵本」を書こうとして計画しましたが、除雪に追われて書くことが出来ませんでした。来年こそと思っています。
2006/04/23 21:31:柿の種
▼子供たちは、お父さんやお母さんの話をとても待っている。********私達は、「桃太郎」と「一寸ぼうし」に変わる「新しい童話」を子どもたちに語り聞かせなければならない。それは俺たち自身の物語だ。あっちでぶつかり、こっちで泣いた、けっしてカッコイイ話じゃないけれど、自分がたどってきた中から得た「生き方」を子どもたちに。*********
私自身も親の話、とても興味があるけど、あんまり聞いたことないのですね。 今朝は9歳の息子トモミに、【ママは東京の町の中で車があんまり来ない道路で遊んだよ。】っていう話から、どんなことして遊んだの?と聞かれて、いろんな遊びの種類を思い出したんです。そういえばあんなふうに遊んだよ。息子は興味しんしんで聞いていました。立派に見える親、子供たちはまだ小さいから、親をすごく神聖視しているんですね。でも、そうじゃなくて親も子供だったし、若者だった、失敗して、しょっちゅう迷って、それを話してやるってとてもいいことだな、って思っていた矢先・・・ 菅野さん、今度、そういう話を子供じゃないけど、私に話してくださいね、楽しみにしています。 2006/04/26 16:21:横山
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「虹色の里から」では、少しずつ、バックナンバーを更新しています。
「ぼくのニワトリは空を飛ぶ」は、だいたい10日から2週間に一回のペースで更新していきます。下の話は「番外編」です。
朝、まだ眼が覚めぬが眠っているともいえない「まどろみ」の時間に、夢とうつつが重なり合って、思わぬ方向に発想がふくらんでいくことがある。
ある日、まだフトンの中でトロトロしている時、「20才の頃の私」と「桃太郎」と、それに「一寸ぼうし」がつながった。
以下、その話を紹介するが、多少の飛躍や、突然の転換には眼をつぶっていただきたい。なにしろ、まどろみの世界でのことなのだから。
20才の私はどういうわけか生き方を求めていた。自分らしい生き方をさがしていた。
人生の岐路に立った時は、たいていの場合、自分がそれまでにたどってきた道を振り返り、どこかにヒントがないかを捜そうとする。当時の私に最も大きな影響を与えていたのは高校時代の三年間のはずだった。しかし、思い出すのは三角関数や英単語だけとはいわないが、頭の中をさぐっても、出てくるのは生き方とはあまり関係のない、あれやこれやの雑多な(と思える)知識がほとんどだった。
そこでようやく私は、「いかに生きるか」を全く考えることなく20才になってきたという、それまでの人生の浅薄さに気付いた。
やがて、どうも、その浅薄さは私だけのものではなく、おそらく程度の差こそあれ、同時代人にかなり共通しているもの、あるいは大部分の日本人にさえ言えることなのではないかと思うに至った。
何故かといえば、その根っこは、だれもが幼児の頃からくり返しくり返し聞かされてきた「桃太郎」と「一寸ぼうし」の中にあるのではないかと思ったからだ。
まずは「桃太郎」。最大の問題は話の終わりかたにある。荷車いっぱいの戦利品、お宝を満載して桃太郎は村に帰ってくる。桃太郎は「お金持ち」となった。そして・・。話はそれで終わりだ。手に入れたお金で川に橋を架けたり、学校を造ったり・・・そんな話はまったくない。
「一寸ぼうし」。彼も鬼退治をして、助けたお姫様と結婚し、やがて「エライお役人様」となった。そして・・、この話もそれから先がない。話はそれで終わっている。
手に入れたお金を使って何をしたのか、あるいは「エライお役人様」になって何をしたのかは全く語られてない。つまり、何かお金を得ること、あるいはエライお役人になることが目的であるかのように描かれているのだ。 こんなお話を、小さい時から、くり返し聞かされてきた結果、「お金」や「出世」が人生の目的であり、その成否もそこにある、と考えるようになってしまったとしてもおかしくはあるまい。
私の感じた「浅薄さ」と桃太郎たちをつなぐものは「生き方」、哲学の不在である。
まどろみながら、論理の飛躍を楽しみつつたどりついた結論は次のようなことだった。
私達は、「桃太郎」と「一寸ぼうし」に変わる「新しい童話」を子どもたちに語り聞かせなければならない。それは俺たち自身の物語だ。あっちでぶつかり、こっちで泣いた、けっしてカッコイイ話じゃないけれど、自分がたどってきた中から得た「生き方」を子どもたちに。
これが、まどろみの中の結論だった。どうだろうか、ご同輩。