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▼伝説の獅子頭と遭遇

伝説の獅子頭と遭遇/
先日、米沢市浅川の泉養院の鎌倉時代の作と推測される獅子頭を拝見したが

その取材の際に、興味深い伝説をお聞きした。


浅川の獅子は、余りに乱行を行なうので地中に埋められたが後に、その祟りを恐れて

掘り返され祀られた。

また高畠亀岡の善行院の獅子と出会った時に

喧嘩になり闘って、浅川の獅子は耳を失い亀岡の獅子は黄金の歯を失った・・という伝説があ

るのだ。


近辺で戦死者59名を出した戦があった話を聞いたが、陰に争乱の事実を伝説化したものでは

ないか? 


耳を失った話は地名にも残っていた。

取材先の善行院さんで見せてもらった資料にはこうある。


「亀岡の集落から西へ500m離れた耳採りという地名があり、むかし浅川(現在米沢市)の瑞

雲院という寺のお獅子さまが、亀岡へやって来られた時があった。

たまたま文珠菩薩の乗っておられたお獅子さまが、一の宮(一の木戸)に降りましたが、

どんな訳か両者の大喧嘩になりました。

その結果一の宮のお獅子さまは耳を取られ、浅川のお獅子は舌を取られたと伝えられており

争った場所が「耳取り」という地名になって残ったと言われています。」・・・とある。

まだ続きがあり・・・

「また一説に、浅川の寺は泉養院であり、亀岡の獅子頭は歯を浅川の獅子は耳を取られとあり

ます。」と締めくくられている。     (屋代郷昔話による)



取られた場所が変わって、伝説も少し揺らぎがあるので面白い。

文殊菩薩は善行院が別当の「文珠一宮獅子吼勇健尊」のご本尊の事だろう。

善行院の建物から少し登った所に位置するお堂である。






さて亀岡文珠の登り口、南側の善行院にお邪魔した。

獅子頭は二頭あり、すでに祭壇から居間に運ばれていた。

お話を聞いた今のご当主は僧侶を受け継ぐことなく別のお仕事である。

ご当主の父が教員と僧侶を兼務され、祖父が専任の僧侶だった。

残念ながら獅子頭の事については何も詳しい話は聞いていないという。





総宮系の型の獅子頭の一つは、小松の「佐藤太蔵氏の作」と思われる。

高さ10cm程の小品である。

目的の伝説の獅子頭は、流石ただならぬオーラを発して鎮座していた。

獅子頭の高さが無く平板で、金箔や朱は残っている。脳天には如意宝珠の台座にしていた

だろう円板が残っていた。



では、伝説の大喧嘩で失った部分を探してみる・・・。

耳を失った説は?

   耳は健在であるが、耳の根元に別の耳が取り付けられていたかの様な擦れた跡がある。



歯を失った説は?


    顎の歯には鉄板が取り付けられているが、上の歯には無く失われていた。





一応、耳は有ったが歯は確かに無くなっていた。

対戦した浅川の獅子頭については、片方の耳が無かったのだが口の中までは確認出来なかっ

た。

詳しくは不明だが、善行院の獅子頭は、鎌倉期の作といわれる浅川の獅子頭と同様に相当古い

獅子頭と考えられる

是非本格的に研究機関での調査を依頼したいものである。


試みを一つ・・この獅子頭を少し若返らせてみよう・・少しだけである。

タテガミとヒゲを生やせて、金箔を修正してみた。




このような楽しみ方もあるのだ。


善行院には古い獅子頭の他にも見事な仏像が存在していた。

不動明王のセイタカ童子、コンガラ童子コンビ



















鮮やかな陶磁の文珠菩薩




獅子に乗った文珠菩薩の絹本着彩された肉筆画




棟札にまた注目の棟梁の名前を発見した 「飯酒盃 富次」である。
2016/06/05 07:53 (C) 獅子宿燻亭6
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