▼お盆が終わって2006/08/20 10:38 (C) ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
▼みんな幸せに愛妻家の菅野さん、お疲れ様でした。あっ、お疲れなのは村のおんな衆よね。これから、都会に出た団塊の世代が、実家に大挙して帰るんですってね。本当かしら?帰ってきたら、ああだら、こうだら、言うのではないかなぁ。みんな幸せになってほしいという大きな気持ちで受け入れてあげるしかないかしら?
2006/08/21 00:12:卯の花姫
▼お盆だったのですね。あの、獅子舞に、あんな、いわれがあったとは。
そうでしたか。 都会の人は・・・・ほんとにそうかもしれないなあ。 こちらは夏はもうすっかり行ってしまって、今日、午前中は15度、朝は車のヒーターを入れました。 暖かかった! 2006/08/21 22:21:regenbogen :URL
▼成田闘争40年を見て20日深夜のTV。成田の最後の農民に対する菅野さんの思いやりのある発言は心うたれました。乳白色の朝霧の中、静かな田んぼで、心おきなく農業を営む、そういう幸福を味わうことを自分に許してあげてもいいのではないか、石井夫妻を見てそう思いました。
2006/08/22 01:49:大木
▼おめでとうございます毎日国際交流賞受賞おめでとうございます。毎日新聞記事を読みました。レインボーの精神をきちんと受け取ったのは、共同体意識の残るタイの農民だったのが、なにかとても印象的でした。日本人は、日本で実践されている本物に対して冷淡なところがあります。もしかしたら、日本発レインボープランが、タイから逆輸入されるかもしれませんね。これからのご発展を心からお祈りします。それにつけても、多方面でご活躍される菅野さん。あらためて、敬服いたしました。
2006/08/23 23:04:AOKI
▼同感!AOKIさん、同感です。毎日の記者は、レインボープランの意義をタイでしっかりと認識できたのではないでしょうか。タイと日本では状況が違うと普通は考えますが、実は根っこは同じ問題を抱えているのですね。ただ、一見豊かな経済大国では目に見えないだけです。もし、レインボープランが人とのつながりであるならば、農民であろうがなかろうが関係ないなぁと思いました。20日毎日新聞朝刊を読んでない方は、ぜひ読んで!
2006/08/24 00:22:あさひ
▼早速!ブログ拝見しました!
声を出して笑ってしまうおもしろさです・・。 モチロン、おもしろいだけではありませんけどね。 考えるところは考えます。 ますます、ファンになっちゃいました! これからもチェックしていきますので 更新していってくださいね。 少年の心を持った菅野さんへ 2006/08/28 23:11:harumi_a
▼楽しくなければ人生じゃない。regenbogenさん、大木さん、aokiさん、あさひさん、コメントありがとうございます。団塊の世代の私も50代も半ばになったのですが、全くおとなしくはなれず、いろんなことに首を突っ込み、そこに面白い友人達がたくさんいたりして、それが「深夜のTV」になったり、8/22の毎日新聞になったりしているんですね。「面白くなければ人生じゃない。楽しくなければ百姓じゃない。」これがオレのモットーだけど、どこまで通用するか、行ってみようかと。
2006/08/30 00:40:菅野芳秀
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夏のあさの水田風景は美しい。
朝霧の日はことのほかロマンチックで,太陽が上るにしたがって、乳白色の中から少しずつ緑の水田が広がっていくさまは「神様」がいるのではないかと思えるほどだ。
ようやくお盆が終わり、帰郷者やその子ども達で賑わった村はいつもの静けさを取り戻している。家々のおなご衆は勤めを果たした安堵感にホットしているところだろう。実際のところ、お盆が近付いてくると、家の内、外の大掃除や、障子の張替え、お客用のフトン干し、仏壇の飾りつけ、それに料理をどうする、お酒は大丈夫か・・・というたくさんの準備があり、とにかく気ぜわしい。
お盆が来たらきたで、客のもてなしにおおわらわだ。嬉しいやら、気を使うやら、疲れるやら・・・お盆が終われば、村の病院は高血圧が悪化したり、腰が伸びなくなったおなご衆でどっと混雑する・・・それはないか。いいや、あるかもしれんぞぉ。
女房の友人に、お盆に帰郷してきた義理の兄弟、姉妹に
「久しぶりでしょうから、ゆっくりと親子水入らずのお盆を過ごして」と夫の両親をおいてさっさと夫婦で旅行にいく人がいる。これはいい。これだと迎える長男夫婦にとっても無理がなく、お盆の来るのが楽しみだ。おれ達も来年はこれをやろうかな。でも、頑固な両親はそれをゆるさないだろうな。帰ってくる妹は気が強いから、あとで妻が一層つらくなるかしれないし・・・。そんなわけで先の友人の例を知ったのは今から10年ほど前のことなんだけど、まだ実現できていない。実家は何かと難しい。
さてと、こちらのお盆は祭りの季節でもあり、この地方のお祭りには必ず「獅子」が出る。頭が獅子、胴体が大蛇、全長10メートルほどの胴の中には10名ほどの若者が入っていて神社の境内や街道をねり歩く。初めて見た人はその迫力に驚かされる。子どもなら泣き出すぐらいだ。その獅子にまつわるいわれが面白い。
昔(こういう書き出しがいいね)、平安時代のころ、京の都から天皇の御世に従わない東北の豪族を平定しようと、源義家を大将としたたくさんの軍勢がやってきた。
しかし、東北の人たちは互いに連合し、互角以上に戦い、京の軍勢を幾度も跳ね返した。このままでは負けてしまうと思った源義家は策をめぐらし、豪族の娘にラブレターを送る。
「あなたと結婚したい。そしてあなたのお父さんと都で一緒に暮らしたい。」と。
「都の人はウソが多いから、決して信じてはならない。」という父の教えを忘れ、いつしか義家の意のままに砦の弱点を教えてしまう。
「だまされた!」
でも、気がついた時にはすでに遅く、京の軍勢はどんどん攻め込んでくる。
「私のおろかさによって・・・」
多くの村人が殺されていくのを見ながら娘は朝日連峰の山深く、渓谷に身を投げて死んでいく。
以来、その娘、卯の花姫は村の守り神となって、頭が獅子、胴体が大蛇の「獅子」をつかわし、今日まで村々の平安、豊作を守り続けているというわけだ。
恋文を「戦術」にしたのかぁ。きっと源義家は女にもてた京の遊び人だったのだろうけど、田舎のオレなどは今の感覚でも「そこまでやるか」と思う。それに「都の人はウソが多いから決して信じてはいけない。」というくだりが面白い。1000年以上も前からこのような教えがあったのか。オレももう少し早くからこの教訓を知っていたら・・だからといってどうしたというわけではないが・・。
お盆はおわった。村に静けさがもどった。盆を迎えた村の話と卯の花姫の物語とを一緒に思いながら・・・とうとつだけれど・・・みんな幸せになってほしいと思う。