▼過酷な市民マラソン2006/12/03 15:57 (C) 甲子(きのえね)の大黒さま
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日本の資本主義を市民マラソンにたとえてみたいと思います。主催者は政府、運営スタッフは公務員、招待選手は企業やお金持ち、市民ランナーが私達で、体力が資産のことです。市民マラソンには招待選手のほかに部活で陸上をしている学生さん、趣味でウォーキングをしている中高年、運動とは無縁の人から高齢者までいろいろな人が参加をします。
さあ、いよいよ資本主義という名の市民マラソンがスタートです。最初は山登りのように体力のない人のペースに合わせ、みんなでゆっくりと進んでいきました。10キロ地点の高度経済成長、15キロ地点のバブル期という給水所を過ぎ、まだペースが乱れずに体力にも余裕がありそうです。ところが、市民マラソンも中盤に入り20キロ地点からバブル崩壊という上り坂にさしかかります。ペースはまだゆっくりなのですが、後方の選手からは疲労の顔がうかがえます。徐々に集団は縦に長くなってきました。招待選手の中にも調整に失敗した銀行や証券会社が現れます。慌てた主催者は公的資金の導入や税制優遇などの処置を執ります。しかし、不景気という上り坂は予想以上に長く参加者は一様に疲労困憊のようです。30キロ地点で長かった上り坂もようやく終わりました。体力のある招待選手はスパートの時期を見計らっています。しかし、後ろを見ればペースについてこれない高齢者がいますし、コンビニの駐車場に座り込み走ろうとしない若者も現れました。
ここで主催者は一つの決断を迫られました。マラソンは競争なのだから勝者と敗者が出るのはあたりまえ、このままレースを続けるのか。それとも全員参加の楽しい市民マラソンなのだから一旦30キロ地点でみんなが揃うのを待ち、あらためて全員完走を目指すのかの決断です。今回の市民マラソンはアメリカをお手本としました。アメリカの市民マラソンでは体力がなくペースに着いてこれない弱者を切り捨てる競争優先のマラソンです。また、運営費も底をつきかけ国債という借金もたくさんあります。大会のためにたくさんのスタッフを雇ったのですが、効率よく働いてはくれません。また、予想以上に高齢者の参加が多くケアも大変ですし、若い参加者の中には参加費を払わない人もいます。このままでは市民マラソンの運営ができなくなってしまいます。
そこで主催者は参加者のサポートを減らし、競争優先の運営を行うことにしました。格差社会を容認してしまったのです。スパートの時期を見計らっていた招待選手には規制緩和という合図を送り、反対に体力のない選手には今まで行っていた様々な支援を打ち切ろうとしています。優遇税制の撤廃、医療費のアップ、生活保護の削減などそうです。また、参加費を払っていない途中リタイヤしそうな若い参加者には自立支援プロジェクトという支援と参加費の徴収を計画しています。たくさんいる運営スタッフも縮小させ、なんとか市民マラソンを存続させようと必死なようです。
これが今の日本の現状なのではないでしょうか。一億総中流社会といわれたのは昔のことになってしまいました。なんとか30キロ地点までたどり着きましたが、一般の参加者は体力の限界です。今後、脱落してしまった参加者は医療・介護・年金を受けられず、途中で倒れてもそのまま放置されるようになるのかもしれません。また、お手本にしたアメリカのようにレースについてこれない参加者が、他の参加者を襲うようになるのかもしれません。犯罪が増加し治安はますます悪くなっていくことでしょう。走りきれなかった自分を責め自殺してしまう参加者も増えていくのかもしれません。
誰もが楽しみにしていた市民マラソンは思わぬ展開となってしまいました。予告のポスターには「どんな人でも大丈夫、みんなで楽しく走りましょう」というキーワードが掲げられていました。しかし、実際には体力のない人を切り捨てる弱肉強食のマラソンとなってしまいました。「こんなはずじゃなかった」と参加者は主催者を責めます。しかし、主催者とは選挙で当選した私達が選んだ代表なのです。結局、参加者一人一人の責任なのです。ですが、こんな過酷な市民マラソンならば参加しない方が良かったと誰もが思うのかもしれませんね。それが今の日本なのでしょう。