▼かたよらない会話2007/02/07 06:22 (C) 甲子(きのえね)の大黒さま
▼ごぶさたしております。楽しい会話をこころがけるということは、なかなか私には難しいように思います。肩の力を抜いて、その時その時で楽しく会話をしているつもりでも、やはり自分のことを相手に少しでもわかってもらいたいとおもうからでしょうか。いつのまにか自分の話ばかりになってしまうような気がします。私と話していて、相手も楽しんでくれているだろうかと、いつも考えながら会話しているので、肩の力はなかなか抜けませんね。自分はとても楽しいですが・・・
2007/06/02 17:07:すずめ
▼会話の楽しみすずめさん、お久しぶりですね。コメントありがとうございます。
久しぶりにあった友人と話すときに、話したいことがたくさんあって、同時に言葉を発してはお互いに沈黙してしまうことがあります。また、次の会話を求めてお互いに沈黙することもあります。これらはお互いに相手のことを考えての沈黙なのではないかと思うのです。 お互いに相手のことを考えるからこそ会話には沈黙があったり、ぎこちなくなったり、疲れたりもするのだと思います。私はそれもまた会話の楽しみなのではないかと思います。一方的に伝えたいことを伝えて終わるメールとは違い、こういうやりとりがお互いの距離を縮めてくれるのかもしれませんね。やはり私たちは会話を求め、人を求めているのだと思います。 2007/06/04 15:36:副さん
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仏教には中道という教えがあります。お釈迦さまは王子として誕生され何不自由のない生活をされておられました。しかし、29歳で出家されてからの6年間は厳しい苦行の毎日でした。享楽と苦行という極端な体験をされたわけです。
その体験の中から中道という教えが生まれたのではないかと思います。中道とはどんなことでも極端に走らないように、バランスを大切にしなさいという教えです。お釈迦様は財産や地位といった世俗的なものと、信心や戒律といった精神的なもののバランスが大切であり、どちらかにかたよらない生活を勧めていらっしゃいます。
人間関係でも自分の思いに固執したり、嫌われることを恐れ自分の思いを圧し殺すことは中道の教えに反するのかもしれません。お互いに「あなたの言いたいことは十分に分かる。でも・・・」の繰り返しでは疲れるばかりです。自分を優位に立たせようという心理戦は疲弊するばかりで、お互いの距離を縮めることがありません。
どんなに頑張っても相手のすべてを理解することはできません。どんなに頑張っても自分のすべてを伝えることはできません。自分の思いに固執せず、相手の考えに固執せずに、一時の会話に全力投球するよりも肩の力を抜き楽しい会話を心がけたいものです。
今日の目標
楽しい会話を心がけましょう
今日の写真
もみじに積もった雪が朝日を浴び輝いています。昨年は大雪、今年は暖冬と、なかなかバランスが取れないものです。自然も人間もほどほどが一番いいのですが、なかなかそうはならないようです。