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▼自己責任という大原則

自己責任という大原則/
 以前、タミフルの話しで世の中には多くの人を助けるために少数の犠牲もやむなしという、恐ろしい天秤があると書きました。世の中には厳しい現実がたくさんあるのかもしれませんね。ただ、自分の身に降りかからるまでは気づかないだけなのかもしれませんね。
 
 助けてほしいと思うときに限って誰もいないということも、厳しい現実なのかもしれません。いつもまわりにはたくさんの人がいたのに、自分が苦境に立つと蜘蛛の子を散らすように誰もいなくなるということがあります。
 
 人間は本来孤独な存在なのでしょうか。一人で生まれ一人で死んでいく人間にとって、道すがら出会う人々と共に歩くことはできないのでしょうか。「裏切られるくらいなら信じない」とか「最後に頼れるのは自分だけ」という言葉を聞くことがあります。
 
 でも、私は思うのです。人間は弱く孤独であると知っているからこそ、分かり合える仲間を求めるのではないでしょうか。それが人間本来の姿だと思うのです。ただ、自分のことは自分でするという大原則があります。もしかしたら人が離れていくのは自己責任を果たせなくなったときなのかもしれません。お互いに自己責任を果たしたうえで対等な付き合いをしたいものです。

今日の目標
 自己責任について考えてみましょう

今日の写真
 ここ数日でだいぶ雪が積もりました。眼下に広がる川も冬景色に逆戻りです。


▼人とは支えられてこそ

相手を思う気持ち、思いやる気持ち、協力は、どうなるのでしょうかしら。
2007/03/14 10:40:上和田あひる

▼いつもありがとうございます

上和田あひるさん、コメントありがとうございました。人間として相手を思いやる気持ちは大切です。辛いとき悲しいときに誰かがいてくれれば、とてもありがたいものです。一人で抱え込む必要はないと思えたとき、一人で孤独に苦しむ必要はないんだと思えたとき、とても救われるものです。
 ですが、家族にも友人にも自分の人生を背負ってもらうことはできません。自分を思ってくれる人への感謝は大切なことですが、甘えてはならないという自戒のもとに今回の記事を書かせていただきました。まわりから支えてもらっても実際に歩くのは私なのです。たとえば、最近取りあげられるニートは自分の足で歩くことをせずに、歩かせてもらっています。感謝と甘えの区別を自分に対しても相手に対しても、しっかりと考えなければならないと思うのです。
2007/03/15 09:24:副さん
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