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▼最上家の石高

☆最上57万石といわれているが、ホントに57万石あったのか!?

元和8年(1622年)の最上家改易後に、その所領がどのように分割されたのかを調べてみました。

 山形(鳥居忠政)  22.0万石
 寒河江(天領)    2.0万石
 谷地(天領)     1.5万石
 上山(松平重忠)   4.0万石
 新庄(戸沢政盛)   6.0万石
 庄内(酒井忠勝)  13.8万石
 左沢(酒井直次)   1.2万石
 白岩(酒井忠重)   0.4万石
 由利(本多正純)   5.5万石

上記を合計すると、56.4万石となり、ほぼ「57万石」になりますね。
ちなみに、由利郡5.5万石は本多正純が固辞したため、その後、下記のとおり分割されています。

 本荘(六郷政乗)   2.2万石
 亀田(岩城吉隆)   2.0万石
 仁賀保(仁賀保挙誠) 1.0万石
 矢島(打越光隆)   0.3万石

気になるのは、最上57万石のうち関ヶ原後に加増された分は、庄内13.8万石+由利5.5万石の合計19.3万石という点です。
つまり、関ヶ原前に治めていた最上郡と村山郡で、37.1万石あったということになり、さらに雄勝郡が加わりますので、実際は40万石弱はあったということになります。
一般的に、関ヶ原前の時点での最上家は、24万石あるいは13万石といわれていますので、ずいぶんと乖離がありますね。
もし、直江兼続が最上領を13〜24万石とみて軍事行動を起こしたのであれば、少し計算違いが生じても不思議ではないのかもしれません。
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