ヤマガタンver9 > 豊川炭鉱馬車鉄道という幻 〜米沢に鉄道馬車が走っていた〜 第十回

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▼豊川炭鉱馬車鉄道という幻  〜米沢に鉄道馬車が走っていた〜  第十回

◎蔵田国治と蔵田家と馬車鉄道

前号でこの会社の代表となった蔵田国治についてである。資料としては「伊勢神宮御師蔵田一族の歴史 蔵田国順著 置賜日報社発行」、「山形県議会歴代議員名鑑 山形県議会発行」から拾ってみる。

国治は蔵田国直の次男として、嘉永二年(一八四九)米沢城下神明片町に生まれた。明治五年李山村諏訪神社祠掌になったのを皮切りに、上杉神社、東町皇太神宮などの祠掌を務めた。また同八年置賜県管内神道教導取締、置賜県租税課中勧業掛、同九年置賜県を免職。神道事務局副長、第六八五神風講社副社長、同十年山形県置賜神道事務支局長に任じら れている。その年山形県の第二大区書記、区務所新築世話掛、西村山郡郡書記に任じられた。

ここで国治は突如、同十二年九月山形県十等警部となっている。同十三年谷地警察署詰、警察本部詰、四月に職務課勤務となったが、八月に依願退職している。

 

これは推測の域を出ないが、この山形県十等警部になったことが、馬車鉄道に関わる遠因になったような気がする。

というのは、豊川炭鉱馬車鉄道以外でも米沢新聞などでコンビを組む高野義雄が同じ時期に警察官であったことだ。(高野義雄小伝 上泉治著)高野義雄は明治九年福島県の警察採用試験に合格、認知に赴任とある。米沢の警察署の行政区分は福島にその本部があり、米沢はその支所という形になっていたといわれる。明治九年から十四年まで警察官をしていた。

その時二人が顔見知りだったかは知るよしもないが、その後義雄は後添いに国治の妹さくを迎えることからも、因縁浅からぬものを感じざるを得ない。

 

明治十三年山形県皇典講究所委員、同十七年大講義、同年置賜神道事務局長、同十八年稲葉管長より少教生に任命された。

それに先立つ同十六年上小松村村会議予備員に当選し地方議員をスタートさせている。すぐに村会議員、同年東置賜郡各村連合議員、同十七年第四番学区町村連合会議員、東置賜郡全村連合会議員、東置賜郡県会議員補欠員で当選した。

 その後も東置賜郡連合衛生会会員、連合勧業会会員、物産取調委員、教育委員、所得税調査委員など様々な議員、委員を歴任して多くの寄付も行っている。

 人望厚い国治は民間事業にも進出する。

明治三十年米沢水力電気株式会社の監査役、同年には米澤新聞株式会社取締役に就任している。そして明治三十二年二月十五日豊川炭鉱馬車鉄道株式会社の代表取締役となっている。

 国治の兄信は弘化四年(一八四七)に米沢に生まれ、役人として教部省、岡山県、山形県、福島県、栃木県などを目まぐるしく転勤、明治十九年東京府南足立郡長となり明治二十七年に依願免職となる。その間南足立郡千住茶釜橋より埼玉県北足立郡草加町を経て南埼玉郡粕壁町に至る千住馬車鉄道が明治二十六年二月に営業を開始している。信は明治二十六年十二月に東京から小松町に転籍しており、小松に戻る直前の開業だった。そして同二十八年四十九歳で逝去している。

 私信だが、多分兄信は弟国治にこの馬車鉄道と云う簡便にして客貨両方運べる運搬方法を教示したのではなかろうか。   


2018/07/08 18:10 (C) 珈琲豆屋です!

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