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▼昭和55年の東大塚の獅子舞写真

昭和55年の東大塚の獅子舞写真/
川西町の東大塚地区に羽山神社があり、古くから現在まで獅子舞が守り続けられている。

西大塚八幡神社から習ったとする総宮型の獅子舞以前は、赤い獅子頭の数名の獅子舞で、神輿の前を払って

練り歩くスタイルだったと推測している。現在は御師(おし)の家系だった寒河江氏宅に所蔵されていて以

前取材をしている。未だ作者は不明である。

 


 羽山神社拝殿には昭和55年(1980年)の祭の獅子舞のモノクロ写真が展示されていて、詳しいコメント

も貼付され43年前の獅子舞の様子を興味深く拝見した。それを写真に撮影したのだが、合板パネルに写真を

画鋲で固定し農業ビニールハウスのフィルムでカバーをしている為、不要な反射光が映り込んで、またコメ

ントのメモも写真に貼り付けられている状態である。それらをパソコンで削除し加工してみた。メモには

「東京の国井孝保氏」が奉納した写真に地元の方が、味のあるコメントを加えている。展示物が重なった奥

に隠れてあったものを目敏く見つけ出した。


 どの写真も構図やアングルが良く撮影されている。せっかくのコメントだが作品として修正させて引用させ

て戴いた。

当時は宮内の菊人形の創始者である菊地熊吉氏の作の獅子頭を使用している。熊吉氏は宮内熊野神社の本

獅子ではなく、神輿の祓い獅子の様式を数多く制作している。なぜ本獅子の型を制作しなかったかは謎だが

数多く制作するには都合が良かったのではないだろうか? 敬いや遠慮もあっただろう。熊吉氏の獅子頭は

小振りで、総宮型の獅子頭を頭上に乗せるスタイルの獅子舞には軽く操作性も良かったが、その分荒々しい

獅子舞には耐え難く破損している。こちらの獅子舞は想像できない程、荒々しく昔の獅子舞の特徴を残した

獅子舞である。現在はどうなのかは不詳だが、20年ほど前は神社に入る獅子舞で乱闘に発展し驚いた。



加工前(コメントは梅津藤栄氏)

羽山神社の例祭はお盆の後で、まだ夏の暑さも残り写真から蝉の音と熱い夏草の匂いまで漂ってくる。

獅子舞一行の行列が神社から出て、道中の後半だろうか? 橋の手前で獅子舞を待つ旗持の子供たちの写真

がある。子供たちの先には神主や行列の一行がどんどん先を進めているのに、足を止め「おしっ様来ないな

ぁ」と呟きが聞こえてくるようだ。

獅子舞は何処かの家で、また一服して冷たいビールでもご馳走になっているのだろう。




こちら加工後


警護かかり 公民館前だろう



一軒一軒の距離があるので獅子舞が訪れる場所が決められ住民が集まってくる。


犬川の橋渡 


獅子が警護右側から左足を掛けている・・


しめ縄が見えるので御旅所から出るところだろう。 


暗くなって神社に戻ってきたところだろうか。獅子の足を見ると、様々の履き物だ。








笛太鼓の鳴り物も熱が入っている様子



宮入り寸前か? 拝殿に乱入防止か? 扉で塞いでいる

これらの写真を撮影された国井氏については不詳でが、ここの出身なのではないだろうか?
写真撮影の位置が適切で獅子舞の迫力や良さを知っている方の撮影と思われる。プロの方
だったら失礼だが、著作権も含めてご容赦願いたい。

暫し40年前の暑い夏にタイムスリップした錯覚を感じさせる獅子舞の写真だった。



2023/02/10 07:15 (C) 獅子宿燻亭10
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